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イギリスの庭園と呼ばれるケント州。そのケント州の小さな村に、歴史に忘れ去られた日本庭園がありました。その庭園を舞台に繰り広げられた心温まる物語をどうぞお楽しみください。
物語は1960年代、二人の女性の偶然の出会いから始まります。ロンドンに住むジェーン・ハンコックと夫のマイケルは田舎にセカンドハウスを持つことを検討していました。
お目当ての物件を見に行くために車でロンドンを出発しましたが、途中、二人は人通りもない田舎道で迷ってしまいます。当てずっぽうに車を走らせているうち、ケント州はセブンオークスに近いシールという小さな村に辿り着きます。
道を聞こうと「とうろうコテージ」と書かれた家のドアをノックすると、出て来た女性は二人に後で来てくれないかと告げます。
今年82歳になるマイケルはインタビューにそう答えました。
ごく平凡な外観の「とうろうコテージ」の赤レンガに囲まれた裏庭には、息を呑むほど美しい日本庭園が広がっていました。二人はこの庭園の持ち主であるオードリー・イーダに案内されるままにこの庭をぼうぜんと眺めます。
徐々に気持ちが落ち着いてくると、自らが熱心なガーデナーであるジェーンは、この庭園にはすぐにでも手入れが必要な個所があちこちにある事に気付きました。
聞けばオードリーの陸軍大佐だったご主人は既に亡くなり、子供のいなかったオードリーひとりの手では広大な日本庭園を維持するのは難しく、この美しい庭園はゆっくりと廃墟に向かっていたのです。
ジェーンは即座に無償で庭の手入れをさせて欲しいと申し出ました。そして、この日のこの偶然の出会いが、ジェーンとオードリーの20年に亘る友情を育み、ひっそりと忘れ去られる運命であった日本庭園を再びよみがえらせる事になったのです。
裕福な果実農家であったヒュー・ミクレンは、第一次世界大戦から復員した従業員に何か仕事を与えようと、本格的な日本庭園を造る事を決意します。
ミクレンの25エーカー(3万740坪)に亘る広大な邸宅の敷地の中、現在の「とうろうコテージ」の裏に1911年から2年に亘る日本庭園の建造が始まりました。
ミクレン氏自身が実際に日本を訪れ、植木とその他の植物、岩、飛び石、果ては茶室、石どうろう、三羽の鶴の銅像などを買い集めイギリスに船便で送付。
イギリスで荷揚げ後は、屋敷に最も近い鉄道駅のセブンオークスまでは貨物列車で運び、そこから先は臨時に線路を敷いてこの場所まで持って来るという大掛かりなものでした。
庭の設計を任されたレイモンド・バロウは、1893年に出版された「日本の風景式庭園」という本にあるイラストを忠実に再現した庭をデザインしました。
築山、踏み石のある小道、八つ橋の架かる池、茶室、あずまやなどが配置され、八つ橋を渡るとしょうぶの植えられた湿地となり、ここには背後に広がるケント州の美しい田園風景を借景とした庭が広がります。
庭園史の大家クリストファー・タッカーは、イギリス国家遺産(National heritage)にも登録されたこの日本庭園を「イギリス国内で最も正真正銘な日本庭園」と評したそうです。
ジェーンはオードリーとの出会いの日以来、1~2週間に一度はロンドンからこの庭を訪れ、熱心に庭の手入れを始めました。彼女一人の手に負えないと気付くと、地域の住民でボランティアグループを組織し、庭の修復を本格化させます。
すっかり忘れ去られていたこの庭を村人たちも知るようになり、月に一度の見学日も設けられました。ジェーンの無償の努力により、この日本庭園はかつての栄華を少しずつ取り戻したのです。
20年もの長い時間を日本庭園の修復につぎ込んだジェーンは、決して報酬を受け取ろうとはしませんでしたが、1980年代にオードリーが亡くなると、ハンコック家に一本の電話がありました。
「ある日、見知らぬ人から妻と話がしたいと電話がありました」マイケルは回想します。「その人は弁護士で、驚いたことに妻がオードリーの家と庭を相続したと言うんです。にわかにはとても信じられませんでした」
ジェーンはきっと贈与を申し出ても断るだろうと、当人には知らせずに遺言を書いたオードリー。
その深い友情に感謝し当初とても喜んでいたジェーンでしたが、次第に、オードリーは最愛の日本庭園の管理を自分に担ったのだと思うようになり、責任の重大さを感じるようになります。
イギリス庭園と比べ、日本庭園は手入れを怠ることはできないので、ジェーンは2007年に亡くなる日まで、毎日、熱心に庭の手入れをして過ごしました。
2011年、ジェーンとマイケルの娘がとうろうコテージと日本庭園を相続しましたが、今年になって売りに出したので、この日本庭園は再び人々の注目を集めることになりました。
因みに、家屋敷の評価額は160万ポンド(約2億4千万円)と査定されたそうです。「庭仕事が好きな人にこの家を買ってもらい、妻の努力の結晶を引き継いでほしい」マイケルはそう言ってインタビューを終えました。
復員した元従業員に仕事を与えるために庭園を造ったミクレン氏。荒れていた庭園に心を痛め20年の長きに亘って無償で庭の手入れを続けたジェーン。その労力に感謝し庭園とコテージを黙ってプレゼントしたオードリー。
それぞれの慈愛と優しさが連鎖して、この美しい物語が綴られました。その中心にあるのが日本庭園であることは、日本人としてはとても嬉しく誇りに思います。三人の慈愛に満ちた美しい庭園が、これからも永く維持される事を願ってやみません。
(参考)http://www.dailymail.co.uk/news/article-3625500/To-gardener-
leave-garden-Amazing-tale-grateful-owner-gifted-Britain-s-finest-Japanese-
style-haven-green-fingered-good-samaritan-threw-1-6m-house-too.html
http://www.kentgardenstrust.org.uk/documents/newsletter_spring_2009.pdf
2億4千万円の庭がもらえたなんて映画みたいな実話だ。20年間無償で他人の庭を手入れし続けたジェーンもすごい。
昔、田舎のじーさん家のはす向かいがすっごい日本家屋と庭園だったけど、マジで庭師が5人はいたはずだよ。
ボランティアスタッフが居たとしても、この人の努力は並大抵じゃなかったろうな…
娘さんの負担も想像を絶するだろう。
数年間は頑張ったみたいだけど、もし仕事を持ってれば転勤なんかもある場合も考えられるだろうし、本当、お疲れ様だな。
庭を大事にしてくれる人が現れるといいね。
例え金満中国人だったとしても…ね。
買い取った人が庭もコテージも壊し
俗物的なモノに代えたら嫌よね。
管理するのも大変だけど永く慈しみ
楽しく育んで頂けると幸いです。
いや、これはちょっと手入れすんのは半端じゃなく大変だな
維持できるかどうか・・・