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日本の戦国時代は世界史の中でも大きな出来事だったのです。特に、織田信長が無敵の武田騎馬軍を鉄砲隊で破った「長篠の戦い」は大事件でした。
日本に鉄砲が伝来したのは1543年の種子島でした。日本は急速に大量生産をすすめ、関ヶ原の戦いの頃には50万丁以上の銃が生産され、世界最大の銃保有国だったとも言われています。
同時期に鉄砲が伝わったはずの中国(明)や朝鮮でも銃は作られましたが、ほとんど発展しません。これは日本の学習能力の高さを示す一例とも言えるでしょう。
日本の武将の中でも最も鉄砲の力に注目したのは織田信長でした。彼は伝統やしきたりに囚われない自由な発想ができる天才だったのです。
戦国時代に日本中で戦いが行われていましたが、実は収穫期にはお互いに戦争を避けていたのです。それは下級武士の多くが半農半兵だったためです。それに対して信長は職業軍人を育て、常備軍を持ったのです。
これにより自由に軍隊を運用できるようになりました。また、身分に関わらず才覚と志のあるものを重用して信賞必罰を徹底したので、軍隊の質と士気が高まったのです。農民出身の豊臣秀吉が天下人になれたのもこの仕組みのお陰です。
信長は積極的にヨーロッパからの宣教師や商人と接触を持ち、貪欲に情報収集をしています。
当時の西洋人は布教や商売活動と共に、各大名の国力・軍事力や戦闘を詳細に分析して、本国やバチカンに報告しています。信長については、残虐さと合理的で柔軟な発想のできる有能な指導者として高く評価しているのです。
長篠の戦いを紹介した動画には海外から多くのコメントが寄せられています。
信長の凄いところは3つの部隊を分けて、1部隊が射撃する間に、残りの2部隊が銃を撃つ準備をする。ローテーションにすれば連続して銃が使えるのさ。「コロンブスの卵」だね。
日本の戦国時代、オランダでは、ヨーロッパに「軍事革命」を起こしたマウリッツが活躍しています。
それまで傭兵が中心になって戦争をしていたヨーロッパでしたが、彼は常備軍を創設し、徹底的に鍛えて近代軍隊の礎を築いたのです。そして反転行進射撃(カウンター・マーチ)という方法で連射ができない銃の弱点を克服しています。
また、彼はオランダ総督(国王)として徳川家康から日本との交易を認められたのです。江戸時代に鎖国を行なっていた江戸幕府ですが、唯一の例外がオランダだったのです。
長篠の戦いの「三段撃ち」は江戸時代の創作ではないかとの説もあります。誇張された部分はあるかもしれませんが、織田の常備軍と1000~1500丁の銃が武田軍を圧倒したのは間違いありません。
バチカンやオランダが日本の詳しい戦況を把握していたのは事実であり、これらの記録からマウリッツが常備軍や反転行進射撃のヒントを得たのではないでしょうか。
マウリッツが初めて反転行進射撃をヨーロッパで実戦に使ったのは、長篠の戦いの数十年後のことなのです。
(参考)http://www.willamette.edu/~rloftus/jfilm/nagashino.html
日本で銃が量産されてたなんて。もっと早くから開国していたら中国や韓国はどうなっていただろう?
種子島氏が凄いんだよなぁ
今の日本はだらしないだってww
王者必衰ってことわざ海外には無いのかな?
第三者は偉そうに言えるから楽だね
盛者必衰なら知ってる。
まあ国民性は変わらんから、日本人はこれで白兵戦は強いんだろ。
1.実は武田の方が多くの銃を持っていて、前哨戦の城責めでは武田の銃撃で城壁がボロボロだとの記録がある
2.武田が負けたのは銃の威力や騎馬隊への過信ではなく、普通に兵力差
3.三段打ちは危険すぎて不可能な上、そもそも兵力で圧倒しているのでそんな奇策を使う必然性はない
4.織田信長は近年、研究が進むにつれ、革新的どころか寧ろ他の大名に比べて政策も戦術も保守的な部類に入る事が分かってきた
宮本武蔵は正々堂々としてないだろ
鉄砲の大量投入した連続一斉射撃は長篠合戦以前にもあったというのが、通説じゃなかったかな。備前の浮田(宇喜多)直家の明善寺合戦の国富の戦いでもそうだったはず。後年浮田家は七段構えの鉄砲隊で矢坂で毛利を迎え撃ったはず。そのくらい各地方の中規模の大名でも鉄砲の戦術は研究され尽くしていた。
他にも紀伊の雑賀、根来が集団斉射していたというし、比較的珍しいアイデアじゃ無かったんだよ。
なんか江戸初期の方はオスマントルコまで日本の火縄銃が輸出されてたとか聞いたけど
朝鮮や明国でも同時期に火縄銃は導入されたが銃身は鋳銅製だった為に強度が劣り、またその価値を正しく評価することは無かった
文禄・慶長の役の折、日本の火縄銃の威力に触れ、両国は火縄銃の価値を見直したものの明国はオスマントルコから伝来した大型大口径のルーミー銃を採用し、日本式の火縄銃と比較して威力で勝った事に満足して使い勝手の良い大きさの火縄銃の集中運用、戦術に関しては学ばなかった。
一方直接的に日本式火縄銃の威力を体感した朝鮮はその価値を正しく認め、日本式の火縄銃運用戦術を導入する
この改革により、朝鮮は17世紀中の露清国境紛争の際、清国の勝利に貢献する事となります
安土城下の町づくりなんか凄い。
鉄砲を大量に生産してしまうとか、日本を植民地化することは、早々と諦めたんでしょうね。
金や銀が取れるし、欲しい土地ではあったでしょうけど。