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ヨハネス・フェルメールは日本でもとても人気があります。彼はオランダを代表する画家であると共に大家族のビッグダディだったんです。
フェルメールは1632年にオランダのデルフトという街のプロテスタント家庭に生まれます。彼は人生のほとんどをこのデルフトで過ごしたと言われています。
父親は居酒屋や宿屋、画商などを手がける実業家で、フェルメールは比較的裕福な子供時代を過ごしたようです。彼は6年間の絵画修業を経て、21歳で画家としてデビューします。
フェルメールは画家としての才能は早くから認められていたようですが、あまり生活能力はなかったようです。彼は43歳の若さで亡くなるのですが、22年の結婚生活で15人の子どもを持つビッグダディだったんです。(うち4人は若死にしています)
当初は親から引き継いだ事業や義母の経済的支援、大金持ちのパトロンのおかげでお金には困っていなかったようです。当時は金よりも高価と言われた宝石のラピスラズリを粉にした絵具を惜しみもなく使っていたんです。
しかし、不況や戦争、パトロンの死により、彼の絵は全く売れなくなります。結局、絵を描くことしか能のないフェルメールは貧苦の中で亡くなります。妻と義母には11人の子どもと、莫大の借金が残されました。
フェルメールは制作のペースは年2~3作というのんびりしたものでした。22年間の画家生活でわずか20~30点しかなく、それも小サイズの作品が多いのです。
同じくオランダを代表する画家、レンブラント・ファン・レインが約40年の画家生活で数百点の作品を描いているのとは対照的です。
作品は、時間をかけて非常に緻密で丁寧なタッチで描かれています。構図はとても凝っていて、一点透視図法と呼ばれる遠近法が使われています。
彼が妥協をしなかったラピスラズリを使った青絵具の色はフェルメール・ブルー(ウルトラマリン)と呼ばれ、彼の作品をとても印象つけています。
多くの作品が同じアトリエで描かれているので、窓の向きや光の方向に一定のパターンがあるのも特徴です。
また作品の模写にはカメラ・オブスキュラと呼ばれるピンホールカメラのような機械も使われたとも言われています。このため、カメラを通じて観たイメージが作品に反映しているんです。
代表作の1つの「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」の少女の目や真珠の輝き方はカメラレンズならではのものだそうです。
フェルメールは世界で最も人気のある画家の1人です。彼の作品を紹介している動画には沢山の人たちがコメントを寄せています。その一部を紹介しましょう。
18世紀になると彼の名前はほとんど忘れ去られ、19世紀になりその価値が再発見されたのです。彼の存在が一時的に希薄になったのは、彼の数少ない作品の多くが個人所有だったためだとも言われています。
余談ですが、フェルメールと日本とは意外な接点があるんです。「天文学者」や「地質学者」と呼ばれる作品を含め5作品に日本の着物がモチーフになっています。
江戸時代の日本と交易のあったオランダでは日本の着物をガウンのように羽織ることが流行っていたんです。
フェルメールはビッグダディとしては失格だったかもしれません。でも、彼の渾身の作品は世界中の人々を魅了し続けているのです。
(参考)http://www.metmuseum.org/toah/hd/verm/hd_verm.htm
https://en.wikipedia.org/wiki/Johannes_Vermeer#/media/File:Blaeu_1652_-
_Delft.jpg
フェルメールという画家の名前は初めて聞いたけど、この人の絵は今まで何度か見たことある。15人も子供がいたなんて、画家の不安定な給料でよく頑張ったなぁと思う。
当時のオランダでは画業は割と安定した職業だったはず(実力があれば)
市民が豊かだったので、絵の需要がたくさんあった。画家は芸術家というより職人、技術職という面が強かった。
現代日本人の感覚で考えてはいけない。
この時代にはすでに画家は職人から芸術家の地位に上がっていたはず
レンブラントも子供を失って極貧のなかで死んでしまったという点で共通してますね