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小学校のころから教室や校庭といった学校の掃除は自分たちでするものだと思っていました。いや、幼稚園の頃からですよね。あまりにも当たり前だったので、ほかの国でもそれが当たり前だと思ったのですが、どうやら違っていたようです。
ある日のトルコ全国紙「ヒュリエット紙」の記事を見て、考え込んでしまいました。見出しは、「父兄から学校の清掃に対する苦情」です。
シャンルウルファ(トルコの南東部、シリアと国境を接している県の一つです)にあるビリム小中学校で、掃除がされていないと主張する父兄の集団が、お昼ごろ学校の前に集まっていました。
3000人近い生徒が通う学校で、スタッフとして働く人たちの数が少ないのを理由に生徒たちに掃除をさせているのはけしからん、というのです。
父兄たちによると、
このニュースに対して、トルコの人々からはこういった反応が寄せられていました。
子供たちはトイレ以外のところで用を足してしまっている、子供たちのトイレ教育がなっていないんですよ。あの学校の先生たちに神の助けがありますように。
学校は掃除がされていないだけではなくて、水もないんです。偉い人たちが、父兄の文句に耳を傾けてくれて、何とかしてくれることを願います。
ニュースを読んで、3000人の生徒数って、とか、トイレ掃除をさせられたからって文句を言うなんてと思ったのですが、反応を読んで日本に生まれてよかったとしみじみ思いました。
ニュースになっているくらいですから、この学校は特別なのかもしれませんが、まず学校に通っている数があまりに多すぎます。
小中学校ですから、8年生まであるのだと思いますが、平均すると一学年が400人。反応の中にもありますが、 70~80人学級で、椅子に3人から4人が座って授業を受けているとか。せめて、この椅子が二人掛けであることを願います。
日本では、少子化のためあまりこういった問題はないかもしれませんが、あったとしても生徒の人数に応じて、学校の教室や先生が配備されるでしょう。
学校は、校舎や設備というハードの部分と、先生や働く人たちというソフトの部分、両方が必要です。それらを、必要に応じて配分する必要があるのではないでしょうか。
状況が悪い状態が続くために、今年来た先生が、翌年には辞めてしまう、という反応がありましたが、先生がいないと、さらに少ない先生で学校を回していかなくてはならないという悪循環にはまるのは、特に教育現場ではつらい話だと思います。
予算もなければ人もいないという反応がありました。記事の中で、父兄たちは子供に掃除をさせていると怒っていました。
でも、日本に生まれ育った私には、最初何を言いたいのかがわかりませんでした。 3000人生徒がいるのだから、日本で当たり前になっているようにみんなで掃除をしたら、あっという間にピカピカになりそうです。
というのも、トルコの人たちは基本的に綺麗好きなので、お家の中はピカピカという人が多いのです。家を掃除するように、学校を掃除したらいいのに。
日本では、自分たちが掃除をするのが当たり前という状況が前提にあるので、学校の掃除をすることに抵抗がありません。自分たちで掃除をするので、できる限りきれいに保とうと無意識のうちに振る舞います。
学校の掃除、面倒だと子供のころには思っていましたが、当たり前のように、ごみのポイ捨てをしない、とか、みんなで使う所を汚くしないようにする、とか、トイレはきれいに使う、といった良い習慣を身につけることができていたんだなと気づきました。
(参考)http://www.hurriyet.com.tr/velilerden-okul-temizligi-tepkisi-
40006316
http://www.sanliurfa.com/urfada-velilerden-okula-temizlik-tepkisi/
1671492323/
http://www.mynet.com/tv/sanliurfada-velilerden-okul-temizligi-tepkisi-vid-
3425531/
国民の価値観を変えるには教育から変えないといけないんだと思う。どこからか親の世代と線引きして学校の教育を変えるよう政府も協力してほしい。