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日本のロボット分野は世界の最先端レベルです。この技術を支えているのが日本伝統の「からくり人形」の技術です。
幕末の天才技術者、田中久重は素晴らしい「からくり人形」を製作しました。この作品は今日でも世界中の人々を驚嘆させています。
田中久重とはどんな人物だったのでしょうか。1799年、福岡県の久留米市に職人の跡継ぎとして生まれました。彼は技術系の神童、今風で言えば「オタク」的な存在でした。
わずか8歳で、一定の方法でしか開くことができない「秘密箱」を製作しています。14歳になると単純な構造ながら綺麗な絵柄が織れる機織り機を発明します。
そして20歳になると彼の名を日本中に轟かせることになる「からくり人形」の製作を開始します。
当時、貴族や大名たちの中にはこの複雑な動きができる「からくり人形」のコレクターも多く、人々も興行で人形を観るのを娯楽として楽しんでいました。田中は家業を弟に押し付けて、夢中になれる人形作りの技と興行で生きていくことにします。
その後も彼の好奇心と探究心は衰えることがなく、日本に紹介されていたわずかな天文学や西洋技術などを次々に学んでいきます。
彼の開発や発明は身近な生活品や機械、兵器に至るまで多岐に渡ります。これが「東洋のエジソン」と呼ばれる所以です。
そして50歳の時、彼の人生で最高傑作とも言われる「万年自鳴鐘」(万年時計)を製作します。1000点以上の部品からできている精巧な作品で、国の重要文化財となっています。
さて、彼の代表作のからくり人形「弓曵き童子」について簡単に説明していきましょう。分かりやすいので動画もご覧になることもおすすめします。
他のからくり仕掛けのように、ゼンマイの力を「カム」と「腕木」、「糸」に伝えて複雑な人形の動きを生み出します。人形は自分で矢をつかみ、弦にかけて弓を引き、そして狙いを定めて放ちます。
この一連の流れに左右の手と顔の動きが完全に連動しています。あえて矢は4回中で1回は必ず失敗するように設定されています。的に当たった時は人形が喜び、外れた時には悲しい表情をするようになっています。
あの能面と同じように顔の角度を変えることで感情を表現しているのです。多くの仕掛けはこの微妙な表情の動きに使われており、田中の表情へのこだわりが分かります。
また下部には別の人形がこの「弓曵き童子」の装置を動かしているように見せる仕掛けがあります。緻密ながら洒落っ気もありユニークですね。
彼の別の代表作「文字書き人形」では4パターンの文字を墨と筆で書くという神業をやってみせます。墨字の微妙な「跳ね」などの動きまで忠実に再現していて、この字の美しさには日本人も脱帽です。
1881年に82歳で亡くなるまで田中は精力的に活動を続け、初の国産蒸気船の設計や大砲の開発など技術顧問として佐賀藩や久留米藩でも活躍しています。
74歳になると福岡から東京に移住し、その2年後には銀座に通信機器関連の会社「田中製作所」を設立します。
当時の平均寿命が60歳程度だったことを考えると、田中が如何に並外れた「スーパーおじいちゃん」だったか想像できるでしょう。彼が設立した会社が現在グループ全体で20万人以上の従業員を抱える多国籍企業の東芝です。
それでは田中の「弓曵き童子」のパフォーマンスを観た世界中の人々の反応を紹介していきましょう。
日本は幕末に開国からわずか約150年しか経っていません。それ以前は260年という長い鎖国状態が続いていました。
その鎖国時期あっても日本には世界レベルの技術力の基礎が蓄積されていたのです。だからこそ田中久重は彼の才能を存分に発揮することができたと言えるでしょう。
(参考)http://www.tested.com/art/makers/462669-karakuri-puppets-
japans-automata/#comments
http://karakuri.info/master/index.html
http://www.tofugu.com/2013/07/29/tanaka-hisashige-father-of-toshiba-
edison-of-japan/
http://web-japan.org/nipponia/nipponia38/en/feature/feature06.html
東芝の創業者すげ~w76歳で将来世界で戦える会社を立ち上げるなんて普通のおじいちゃんじゃないことはよくわかる。この人形もどんなからくりか全く想像できないし、偉人って感じがする。
なお今の東芝
万年時計の方が凄い!