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終戦から29年目の1974年3月10日、1人の帝国陸軍兵士が連合国軍に投降しました。彼の名は小野田寛郎氏です。この瞬間に彼の戦争は終わったのです。
1945年9月、第二次世界大戦で正式に日本軍が武装解除と降伏をしたにも関わらず、南方戦線では終戦のニュースを知らされずに多くの日本兵が戦闘を継続していました。
小野田氏は終戦から29年目の1974年まで投降しなかったのです。
彼は1922年生まれ。小野田氏は、中学卒業後は商社マンとして上海で働き、20歳の時に帝国陸軍に入隊します。その後、幹部候補生学校を経てスパイ養成校として有名な陸軍中野学校に入学します。
小野田氏には一般の高等学歴はありませんが、お兄さんは東京帝大医学部卒、弟は陸軍士官学校卒だそうなので、小野田氏も相当優秀なったのでしょうね。
1944年、彼は情報将校(少尉)としてフィリピンのルバング島に送られ、占領地防衛の任につきます。1945年2月にはアメリカ軍がこのルバング島に進行し、日本軍との戦闘になります。
多くの日本兵は戦死または投降しましたが、小野田氏と3人の日本兵は徹底抗戦を続けます。彼ら4人は上司からの「投降をせずにゲリラ戦を継続せよ」との忠実に命令を守り、ジャングルの中で日本軍の増援を待ち続けたのです。
正式な降伏はこの8月です。終戦のニュースは空中からビラで日本兵にも知らされました。
しかし、小野田氏らはこのビラは騙して投降をさせるアメリカ軍のだまし討ちと考えたんです。1人は1950年にフィリピン軍に投降をします。残った3名は更に抵抗の意思を強めていきます。
1952年には島に残った3名の家族の手紙を飛行機から投下し、投降を呼びかけました。それでも3名は日本の敗戦を信じられなかったのです。
小野田氏らは1970年までアメリカ軍施設への散発的な攻撃を続け、軍や警察、民間人を30名以上殺害しています。一方、1954年と1972年に仲間が1人づつ射殺され、ジャングルで抵抗を続けるのは小野田氏だけになります。
1974年2月、小野田氏はジャングルで日本人冒険家の鈴木紀夫氏と出会い、友人になります。鈴木氏から本当に日本が降伏したことを知らされ、投降を促されます。
しかし、小野田少尉は上官の命令なしでは投降できないと拒否。その後、元上官がルバング島に出向き、小野田氏に武装解除を命じるのです。
投降した時、小野田少既には52歳になっていましたが、30年間着古した軍服を着ていました。また彼の所持していたナイフやライフルは完璧に手入れされていたそうです。
投降式ではフィリピンのマルコス大統領(当時)に軍刀を渡し、投降の意思を示したそうです。
帰国後の小野田氏は日本政府や全国の人々から多くの見舞金を送られますが、全額を英霊を祀る靖国神社に寄付。また印税収入から100万円をフィリピンの小学校に寄付をしています。
自らの経験を活かし、若者たちにサバイバル方法を教える「小野田自然塾」などを主催しました。
小野田少尉のドキュメンタリー動画には非常に多くの絶賛の声が寄せられています。
小野田氏のニュースは日本だけでなく世界中に大きく報道され、賞賛の声が多く寄せられました。
自衛隊や旧日本軍に否定的な中国共産党のウェブサイトでも小野田氏の記事は詳しく報道し、彼に敬意を示す中国国民の声を数多く紹介したんです。
日本人や日本兵を極悪人とした反日ドラマを国家戦略として製作・報道し続ける中国共産党としては「異例中の異例」な扱いでした。
小野田氏は2014年、91歳で亡くなられました。彼が日本人の義務感と忍耐力を世界に示してくれたことに感謝したいと思います。
(参考)http://edition.cnn.com/2014/01/17/world/asia/japan-philippines-
ww2-soldier-dies/
http://www.bbc.com/news/world-asia-25772192
http://www.nytimes.com/2014/01/18/world/asia/hiroo-onoda-imperial-
japanese-army-officer-dies-at-91.html
たしかに戦争中だったらビラが降ってきても罠かと思うかもしれない。元上官が現地まで行ってようやく武装解除したなんて、29年たっても立派な精神を持った軍人だと思う。その後の寄付なんかが日本人らしくて素晴らしい。
旧制中学卒は当時は高学歴
兵隊になる前に商社で働いてたそうで
当時の慰安所をテレビで語ってるの見たな。
YouTube に残ってたら見て欲しい。
凄い人だ…。
当時は靖国への寄付に批難が殺到した
日本の世論は左傾化してたみたいですね
だからブラジルに渡ったのかな?
もう自分の知ってる日本じゃ無かったとか言ってたような
※4
故郷の家族(父親)とそりが合わなかったような事も聞いた
まあ、複合的な理由が有ったんだろうね
何が凄いって、動画の最後のシーン。小野田さんが敬礼してる所。
みんな不思議だと思わないかい?おかしいと思わない?
彼は約30年間ジャングルでサバイバル生活をしていたんだよ。
なのに何故あんなにも精気がある顔で、尚且つ髪の毛や髭が整ってるんだ?
凄過ぎるだろ。
日本人として見習うべき姿だな。やれブラック企業だの社畜だの今の日本人は甘えん坊。
戦時中の軍隊よりブラックな仕事はねーよ
小野田さん凄いな
※7
組織の組織たる意味を発揮せず、無力無能を個人の犠牲で取り繕い
あたら無為に兵を損なった国家は
小野田氏の様な個人の類稀なる忍耐と精神力を以ってしてもあの様に敗北したという事を忘れてはならない。
なんかネット時代になってからは持ち上げられるのは小野田さんばかりで
横井庄一さんは忘れられてる感ありすぎだよな
インパクトは先に発見された横井さんの方が確実にあったのに
小野田さんに恩赦を与えてくれたフィリピンの大統領には感謝やで。
※9
横井さんは「よっこいしょういち」の掛け声と共に今でも愛されてるぞ。
>小野田氏らは1970年までアメリカ軍施設への散発的な攻撃を続け、軍や警察、民間人を30名以上殺害しています。
う~ん・・・
幻滅した・・・
情報処理能力がなかったということだよね?
何を幻滅する事があるのか、そりゃそうだ、まだ戦争してると思ったんだから、だからの寄付だろ
30年サバイバルしてたんだぞ、情報処理どころじゃない、周りの仲間皆死んで、あとは本人からすればいるのは敵だろうよ
民間人30人殺しておいて英雄もクソもないやろ。終戦になったことは薄々気付いてたろうし ただの犯罪者やで
民間人殺したのはフィリピンとアメリカ組んでたから敵だと思ってたんじゃないか?仲間もフィリピン警察に殺されたしゲリラだからいつ殺されてもおかしくないから誰も信用出できんしな
アメリカは世界中の民間人をいったい何人殺したんだ?
8月は日本人にとって平和と戦争について考える時期。今の平和な世界はご先祖様のおかげであります。日本のためにありがとうございます。
>7
ブラック企業で働くのは愛国イデオロギーとは別だろ。
君は社長万歳といいながら会社のために死ぬまで働いているのかい?
小野田氏は「わがルバング島の30年戦争」にて捜索隊が敗戦当初から捜索当時に至るまでの新聞の縮刷版と、正規の命令書、自分に命令を発した当時の直属上官がいれば、早い段階で投降していた、と記していたよ。
諜報士官なのでビラなどの誤字を見つけては、この情報は敵による欺瞞情報攻勢ではないかと警戒して投降が遅れた。
後、健康管理には気を使っていて、毎日検便や検尿等によって簡易的ながら体調を把握していた
小野田さんが、you tubeで、現在の日本が、日本人精神が変わってしまい、平和ボケしているのでは?とは、発言しませんでしたが、時勢に合わせた口調で、この日本でいいのでしょうか?と問うておりました。小野田さんとしては、大日本帝国主義が良いとは、言わないものの、現在の日本は情けないのではなかろうか!と、ストレートに発言したいのを堪えて、やんわりと発言されておりました。この方は、さすがに旧日本軍情報機関卒だけあり、現代日本を素早く理解されて、勝手な解釈ですが、現代日本に未練はないと、新天地のブラジルで終人生を真っ当しようとしたのかな?と、思った次第です。立派な大日本帝国陸軍軍人と日本人として誇りを感じました。
骨太で一本筋が通った日本刀の様な小野田さんの生き様を知り、我々日本人は決してアメリカや欧州の連合軍に負けたのではない、GHQ3s政策に甘やかされ、金と欲に塗れ、戦後日本人は自分達自身に負けたのだという事、自分だけ今だけよければ、後はどうでも良い政治家から公務員、企業経営陣から末端サラリーマン迄、日本に溢れ、当然ハニトラマネトラ、今や卑しい支那人のやりたい放題、かって日本人が持っていた勤勉で忠義に溢れかつ気丈さや潔さ、美徳やプライドこそが日本を守り、畏怖され世界から一目置かれていた事を知り、彼はタイムマシンに乗って現在に現れた戦国武将そのもの、時代は再び世界戦国時代になって、彼が残した言葉や生き様に今一度、学ぶ必要があると考える。
本当にありがとうございます。
国歌斉唱すら論議される国になってしまって申し訳ありません。
ジャングルは1日でも嫌!草むら歩いて蛇が出そう!気持ちの悪い虫が、得体の知れない生き物が! 今更ながら戦争に駆り出された方達に手を併せています。