日本の魅力を発掘するだけでなく、他国の環境・法律・文化などを見て、いかに日本が素敵な国かを見直すサイトになります。
現在アジアの頂点に立とうと日本・中国・韓国が経済や政治、ありとあらゆる場面で三つ巴を繰り広げています。経済発展や技術進歩の速度は中国が世界一であり、片や韓国は世界一博士号が多い国と、近年日本を一歩リードしています。
こういった素晴らしい快挙の中、実は両国とも日本に圧倒的に劣っている物があります。それこそノーベル賞受賞者の人数です。
ここ数年中国と韓国はノーベル賞の科学や医療部門では多く受賞者を出すどころか、韓国に至っては未だに一人も受賞者を出していません。
皮肉な事に去年はSNSで“19-0”という数字も上がっています。しかしこの19-0と言う数字は何を表しているのでしょうか?
真ん中にハイフンがある以上何かしらの比較をしている数字ですがこれは日韓の中で起きた有名な野球のスコアやスポーツの話ではないのです。
実はこれ去年赤崎教授ら三人がノーベル物理学賞を受賞した際に出された日本人科学者と韓国人科学者を比べた数字です。ご覧のとおり圧倒的に日本人がノーベル賞受賞をしています。
本来ノーベル賞は最大の快挙や最良の発明品など人類の貢献において送られる賞であるはず。生まれや育ちは問わないと言うのが一般常識。
しかしながら近年ライバル心からか、その常識が一部では変わりつつあります。残念ながら多少歪んだ考えか、それとも嫉妬のせいか中国と韓国はますますノーベル賞を喉から手が出るほど欲しています。
ある少数派によれば「言葉の壁を乗り越えられなかった」「最初にそのテクノロジーを作ったのはこちら側だ」などと言い訳をする人たちまで現れました。ではなぜこうなったか考えてみましょう、これにはいくつかの理由が見えます。
日本と比べれば韓国や中国は「遅れてきた国」という考えが世界共通です。歴史を見る限り韓国と中国は常に最先端でいる日本に追いつくのに必死であるように思えます。
目の前にいる日本という国に追いつこうとしているせいか常に日本の真似をして、自ら“作る”と言う大事な作業を放棄していました。
これを長いこと続けていた事から両国に少しずつそれが当たり前という意識が生まれ、両国の教育制度や文化がひらめきや想像力を奪うという悪影響を及ぼしています。
元々日本には江戸時代に蘭学(らんがく)という学問がありました。蘭学という単語を見ればただ単にオランダ語を習うという意味ですが、この言葉の元を振り返ってみると海外のことを学ぶという事になります。
実は蘭学のおかげで当時の日本人は西洋人の考えに対して興味を持ち、新たな技術などに影響され、日本はアジアの中で成長したという考えもあります。
これに比べ中国や韓国はどうだったでしょうか?両国とも日本と対照的に海外の知恵を認めず、逆に日本との差を広げてしまいました。
西側諸国の産業化、工業化に興味を見せた20世紀頃にはもう手遅れとなり、日本と大差をつけられました。この差を埋めようとして生まれたのが「既にある効率の良いモデルを真似る」と俗に言う日本をコピーすることがここから始まりました。
日本との差を縮めるだけではなく、欧米との差を縮めるために両国ともいろんな思考錯誤を繰り返してきました。
韓国は土台になるはずの科学を捨て、いかに世界市場に進出できるかを考え、同時に中国では科学調査などの進歩よりも、とにかく利益を最優先してきました。
これにより真似る事を重視しすぎ、自ら生み出す事ができない状況になりました。結果的に両国民は覚えることや習うことはできても解決策を見つける力ができないという立場になってしまいました。
では日本の視点から物を見てみよう。なぜ日本人はこれほどノーベル賞受賞者が存在するのか?それは日本人が他国と比べ原動力が違うところから始まります。
日本人は律儀な性格です。目の前の欲や状況に縛られにくく、まじめにコツコツと頑張れる人たちです。他国を圧倒したいと願う韓国・中国と違い自らを高めようとするのが日本人です。
良い物を作りさらにそれを完璧なまでに仕上げようとする職人魂、社会に貢献しようとする姿勢。
日本の教育制度もただ暗記などを重視せずに問題を解決する力を与えようと子供たちを教育しています。そうしたところが他のアジアの国と差を広げているとも考えられます。
教育の面から見ると韓国と違って実は中国からは何人かすでにノーベル賞受賞者がでています。しかし大半がアメリカ育ちや海外で教育された方々多い中、日本人受賞者のほとんどは日本国内で教育を受けています。
最後に日本人はアレンジすることが非常に得意な人種です。ただ西洋の考えを取り入れるだけに飽き足らず、それ以上の豊富なバラエティーを作るのは日本人です。車や食べ物にしろ、こういった柔軟な考え方ができるのも日本人の強みです。
今はノーベル賞が野望と考える韓国人も現れています。この目の前の欲に走らず、日本のように良い物を作ろう、世界の役に立とうという考えに変えればその希望はそう遠くないはずです。
(参考)http://hir.harvard.edu/archives/7837
http://www.dailykos.com/story/2015/02/16/1364714/-The-Number-of-
Nobel-Prizes-for-Japan-and-South-Korea-Speaks-Volumes
何だかアメリカ人のコメントがやらせって思っちゃうほど、日本を持ち上げているようで面白いw日本はコピーに対して恥ずかしい気持ちや罪悪感みたいなのを感じるけど、中国や韓国は感じないのかな?
たぶんアメリカでも中国系と韓国系の会話だろ
超気持ちイイーーー
チョンもシナもうんこーーー
ワロチ
そろそろノーベル賞の季節か。
韓国人の愁嘆場で感じる秋の気配。
今年は桜の起源話がちょっと季節とずれてたよね。異常気象かしらw
ノーベル賞は日本マネーがあんまり入ってないから逆に安心して応援できるわ
世界遺産とかもうやってることが完全に後進国のソレだもんな
とにかく今後もノーベル賞とりたきゃ愛国教育とか余計なことするな。その分他のもっと重要な教科が削られるからな。
なんかホルホルに偏りすぎじゃないか
何故日本はこれほど、って程多くはないし、
19のひとつひとつはものすごいことだけど、
合計いくつっていうようなものじゃないだろう。
その考え自体がオリンピックのメダル数と同列に見ている時点で
後進国的な気がする。
日本の学者は「ノーベル賞のため」の研究とか頭に無いでしょ
あくまで自分がやりたい事をやった結果に付いてきたオマケのようなものであってさ
それを目的としちゃってる時点で韓国は駄目だね
中国は国家体制のせいかねやっぱ
朝鮮人が人になりたがってるとか、どうでもいい。
支那朝鮮人のすべきことは、
日本に来ない、近寄よらない
ただ、それだけで良い。
パクリと金が通用しないからでしょ?
ロビー活動は有効だけど
欧米でもコピー商品は嫌悪されますよ。
多分、日本よりも。
特に知的財産のコピーは社会的にも許されませんからね。
東京五輪のマークをベルギーからコピーして使うのは
蔑まされかねない重要問題なんですけどね。
其をゴリ押ししようとする五輪関係者は恥ずべきですよ。
ノーベル賞の見込みがないのに銅像を用意してる時点で、あの民族は頭がおかしい。
分解、融合、昇華だと自分は思う。
まずどんなものか深く理解し観察し、分解して、日本にあうように捨てたり変えたり入れたりと融合させる、最終形態はもとのものより上にいかせる昇華。
こんなん読んでも、なんの気持ちもわかないや。すべての日本人がすごいわけじゃないのに、うぬぼれらんないし。
日本も昔は散々コピー大国とか言われてたけどね~
ただ、今の中韓のように「丸パクリ」する国が出てきてからは、「やつらよりは遥かにましだった」扱いになっただけだよね
小型化改良、一般普及が凄まじかったが好評価化の一番の理由だろうけど
韓流ブームのはしりとなった冬ソナも、百恵ちゃんの赤いシリーズに熱中していた世代が主流だからね!韓国には新しいものが何もないね!
話の角度は変わってしまうけど。日本人がノーベル賞をはじめ世界に貢献できるようになったのも、アメリカをはじめ欧米各国が日本の研究者や留学生を受け入れてくれたことは大きい。感謝しかない。
少なくとも学術の分野ではフェアにノウハウやネットワークを提供してくれた。懐が広い国がサポートしてくれたからだよ。
いつの日か日本もそのように振る舞えるといいな。優秀なアジアや他の地域の人が日本で学び、それが契機となってノーベル賞とかフィールズ賞とか取れたなんて日がきて欲しい。