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「針供養(はりくよう)」と聞いても、なじみがない言葉でピンと来ない人も多いかと思います。
年に1回、使えなくなった針とまち針に感謝するための儀式です。針とまち針の葬式とも言えます。折れた針などを豆腐やこんにゃくに刺し、埋めたり、川に流したり、神社に納めるなどして供養する風習です。
(※「豆腐やこんにゃくに刺す」という習慣は、一生懸命働いた針に、柔らかいものに刺して休んでもらう、という意味が込められている)
針仕事を家庭で行っていた以前の風習ですが、現在でも、ファッション関係の学校や、仕立て屋、裁縫に関係した職業や企業などには行われています。
使えば使うほど、モノに対する愛着がわいてくるものです。それが仕事道具ならばなおさら。例えば板前の仕事道具は包丁、作家は万年筆、仕立て屋は針。
日本では、こういった仕事道具やモノに愛着がわき、魂がこもると信じられています。
それで、仕事道具であるパソコンについつい話しかけてしまう。そんな私を見て笑う人もいるけどね。以前、お客さんのパソコンを修理しに行ったとき、私ではどうしても起動しなかったのに、男性社員が手を出したら、いきなり動き出したことがあったの。
あのパソコンは、ぜったい女の子だったんだと思う!こういう経験を重ねるにつれて、仕事道具にも魂が宿ると信じるようになったわ。
こう考えると、モノを大事にしようと思うようになるし。日本に行って、針供養に参列してみたいと心から思います。
針供養の一番素晴らしいことの1つは、「感謝をする気持ち」。針供養の精神を理解して、モノを大事にしようと思いました。特に、誰かがプレゼントしてくれたものは大事にしたいと思います。
だってそのモノには、贈り主の魂もこもっていると思うから。ちなみに私がなかなかモノを捨てられないでいると、子供たちにすごく叱られる。
だから日本人が針に感謝して祭るっていうのは当然だと思う。どんな小さなものも大事にしないといけないね。
皿いっぱいに刺された針を見て怖くなっちゃった。もし儀式中に転んでしまったら、一体どうなるの、ハラハラする!
例えば我が家の場合、車は家族の一員。家族そろって車バカだよ。車のためならなんでもするよ。それにしても、日本人の着物姿は本当にいいね。儀式の場が華やぐね。
日本人すらも忘れかけている針供養。筆者にとっては、外国人がこんなに興味を示してくれたので、改めてその儀式や、意味を考える機会になりました。
それにしても日本には、感謝の気持ちを表すこんなに素晴らしい習慣が残っているのですね。
儀式そのものにとらわれるのではなく、モノを大事にする気持ち、モノに感謝する気持ちを大事にしないといけないですね。そして、日本のことを外国人に説明する機会に、ぜひ針供養の、その精神を伝えて行きたいと思いました。
(参考)
http://unajaponesaenjapon.com/259/dia-de-agradecimiento-a-las-agujas-hari-kuyou
http://unajaponesaenjapon.com/25523/ceremonia-harikuyo-ceremonia-de-agradecimiento-a-las-agujas
海外コメントでパソコンの話は、なんだか奥深いものがあった。海外にも魂みたいな日本と同じようなものを信じる人がいるんだ。針供養はこれからもずっと続いてほしいと思う。
さりげなく韓国かい
俺の嫁は洋裁学校に行ってたから「針供養」もしていたが、
物に執着は無い。
思い出の品々が目の前で捨てられる現実、、、。
服飾専門行ってたが、針供養やったわ。
八百万の神様がいるからね。
おれもモノに執着は無いw積極的に断捨離しますな。
壊れたパソコンは《イケメン好きの男の子》かもしれない。
一神教からすると全てのものは神がヒトに与えたものだから使い捨てもかまわないらしい。
しかしそれはヒトが神のただの創造物というのと矛盾する。創造された物には何の権利もない。陶芸家のように出来が悪ければその創造物は全て破壊される。物には何の権利もない。
人間だけ特別というのも自惚れ過ぎ。