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巨星逝く・・・世界に未知の音を紹介した天才ミュージシャン 冨田勲

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冨田勲の名前を知らない人でも、ほとんどの人が彼のサウンドを一度は聞いたことがあることでしょう。テレビや映画、教材などあらゆるシーンで彼の音楽は使われています。戦後の日本の音楽界を牽引してきた冨田の活躍を紹介しましょう。

一度は聞いたことがあるはず

冨田は1932年に東京都杉並区で生まれます。当時は多くの日本人が朝鮮半島や中国大陸で生活していました。

冨田は嘱託医だった父親の転勤で、日本と中国の両方で育ちます。幼い頃に北京の天壇公園で聞いた音が彼の音楽の原点になったと言われています。

冨田は基本的に独学で音楽を学び、慶應義塾高校・大学時代には弘田龍太郎ら著名な作曲家に師事し、作曲に必要な音楽理論などを体得しています。

また当時から児童合唱団の演奏や指導、作曲を手掛けているのです。そして全国作曲コンクールで1位になったことを契機に、作曲家としての道を歩みます。

大学卒業後、冨田は比較的スムーズにプロデビューを果たします。 NHK番組のテーマ音楽や大河ドラマのオープニング曲、手塚治虫作品のアニメソングなど、次々に作品を生み出していくのです。

当時の代表作品にはNHKの『新日本紀行』や『きょうの料理』のテーマソング、テレビアニメの『ジャングル大帝』や『リボンの騎士』などがあります。

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しかし、その成功とは裏腹に、冨田の中には満たされない気持ちや焦りが高まっていくのです。

シンセサイザーの先駆者

1969年、ある輸入レコード店でモーグ・シンセサイザー(MOOG III-C)という新しい装置で作られた『スイッチト・オン・バッハ』を偶然耳にします。

MOOG III-Cはアメリカの電子工学博士のロバート・モーグらが1964年に開発したアナログ・シンセサイザーでした。冨田は自分ならこの曲以上の作品が作れると直感し、MOOG III-Pを輸入します。

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とはいえ、このMOOG III-Pは今日のCASIOなどの小さなデジタル・シンセサイザーとは全く違います。巨大な電子回路の装置で、見た目はとても楽器に見えません。

MOOG III-Cを初めて見た税関職員は、これがスパイの暗号無線機ではないか、などの疑いを持ったそうです。

冨田も、取扱説明書もなく使い方も分からない装置を楽器だと証明するのに四苦八苦します。結局、国内で税関からMOOG III-Pを受け取るまでに1ヶ月もかかってしまいました。

新たなジャンルを生み出す

早速、冨田は試行錯誤でMOOG III-Pを動かし、未知の音や音楽を探求します。1000万円の装置を鉄屑にしないために、冨田は背水の陣の覚悟だったのです。

さらに1年4ヶ月と追加装置3000万円をかけて、1974年にデビュー・アルバムとなる『月の光』をリリース。これはフランスのクラシック作曲家、クロード・ドビュッシーの名曲をアレンジしたものです。

渾身の作にも関わらず、レコード店が新ジャンルの曲を並べる棚(ジャンル)がないという営業上の都合で、国内販売ができなかったのです。そこで冨田は直接アメリカの会社に売り込みます。

アルバムはアメリカで大ブレイクし、ビルボード全米クラシカルチャートで2位、年間チャート10位という大記録を達成します。これは1963年の坂本九の『上を向いて歩こう』以来の快挙でした。

その後のアルバム『展覧会の絵』は1位、『火の鳥』が5位、『惑星』が1位と快進撃を続けます。

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その後も映画サントラなど幅広い分野で精力的に音楽活動を続けました。しかし、残念なことに2016年5月、冨田は84歳で他界します。

彼のインタビューを紹介した動画には世界中のファンから多くのコメントがあるので紹介しましょう。

偉大な冨田先生のご冥福をお祈りします。
彼と比較できるような天才が思い当たらない。
彼の初期の作品を聞いていると、70年代のSF映画を思い出します。
私は彼がシンセサイザーで演奏した『惑星』が大好きでした。
この男、まさにレジェンド!! 6歳の頃から冨田氏のファンです。
冨田先生は素晴らしい作品を数多く残してくれました。とても感謝しています。
彼はシンセサイザー奏者の先駆者です。
私は初版のレコードを大切に持っていますよ!音の調子も問題ありません。
70年代から冨田先生の大ファンです。彼のおかげで普通のクラシック音楽が退屈に聞こえるようになっちゃったわ(笑)
彼はまぎれもない天才だった・・・
私は冨田先生のファンですが、フランスのシンセサイザー奏者、ジャン・ミッシェル・ジャールは冨田先生と作風が似ていると思います。
偉大なミュージシャンです。彼はクラシック音楽に新しい魂を吹き込んでくれました。
ああショック!!訃報を聞いて言葉を失ってしまいました。
彼は新しい音楽のジャンルを切り開いたのだ。
この冨田先生のインタビューは素晴らしいです。
公開インタビューには沢山の若い観客が来ているようだけど、彼の偉大さを本当の意味で理解している人は何人いるのだろうか・・・
心が洗われるような澄み切った幻想的な音楽。
ああ~こんなに素晴らしいアーティストが亡くなるなんて・・・
1976年、私がまだ10代だった頃、冨田先生のアルバム『惑星』を購入しました。以来、私は冨田作品だけでなく、全てのシンセサイザー音楽に夢中になってしまったのです。また彼は私にクラシック音楽の素晴らしさを初めて教えてくれた人物でした。
私は冨田先生に1998年と2000年の2回お会いしたことがあります。
冨田勲さんのインタビューが聞けてとても良かったです。本当は私自身が冨田さんにインタビューを直接したかったのですが・・・だって彼に聞きたかったことがたくさんあったので・・・亡くなられて残念です。
彼のサウンドは私の体と共鳴します。

生前数多の名曲を残した冨田ですが、凡人には気が遠くなるような手間がかけられています。数えきれないほどの音を重ねて、重厚なサウンドが生まれているのです。

音を完璧にコントロールした冨田ですが、作曲の時にはあまりにも没頭しすぎるので、軽井沢にスタジオを置き、時々自然の中でリフレッシュしていたそうです。

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冨田は晩年まで攻めの活動を続けていました。2013年の宮沢賢治作品をモチーフにしたアルバム『イーハトーヴ交響曲』は音声合成のボーカル音源でCGキャラクターの初音ミクとのタイアップ(?)で作られています。

80歳を超えても最新のシステム(ヴォーカロイド)を取り入れる姿には敬服します。世界中を震撼させたトミタサウンドは最期まで衰えることがなかったのです。

(参考)http://www.latimes.com/entertainment/music/la-et-ms-isao-tomita-
stevie-wonder-20160509-snap-htmlstory.html
http://blog.alltheanime.com/isao-tomita-1932-2016/#prettyPhoto
http://www.cisac.org/Newsroom/Articles/In-Memoriam-Isao-Tomita

名前は初めて聞いたけど、影響力のすごさに驚いた。昔のシンセサイザーが本当に暗号解読機っぽい。

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コメント一覧
  1. 日本の名無しさん
    2016年10月19日 11:20 PM

    なんで今更?と思いつつもコメントするけどこの人は本当に偉大。
    マイケル・ジャクソン来日時に表敬訪問され、あの音はどうやって出しているのか?と質問を受けたと言うエピソードが残っているほど。

  2. 日本の名無しさん
    2016年10月20日 6:37 AM

    普通は巨星墜つって言わないか?

  3. 日本の名無しさん
    2016年10月20日 7:20 AM

    今の若い人が冨田勲ほどのビッグネームを知らないのは、やはり本や雑誌を読まなくなったせいかな…ミックスカルチャー誌みたいなジャンルの雑誌も絶滅しちゃたし…

    「惑星」は高校の時にセコハンレコードショップで手に入れたなぁ…今思うと、背伸びしてサブカルに食らいついていたんだな。

    TVニュースも新聞も低知能化してるし、ネットニュースなんか「てにをは」さえ使えてない。日本のサブカルは瀕死状態、絶望的だよ。アニメや2ch、ニコニコ動画なんてサブカルとは呼べない。

    若者は頑張って背伸びしないと。早くしないと戦後サブカルの立役者たちがみんな鬼籍に入っちゃうよ。。。

  4. 日本の名無しさん
    2016年10月20日 7:33 AM

    ニコニコとかに巣食う連中は冨田勲を「金になると思ってサブカルにすりよってきた業界人」扱いしてるから。

  5. 日本の名無しさん
    2016年10月20日 2:33 PM

    名前は初めて聞いたって、ホンマかいな?
    一般常識レベルの音楽家だぞ。ちょっと恥ずかしいなそりゃ。

  6. 日本の名無しさん
    2016年10月21日 2:11 AM

    来月はいよいよ冨田 勲氏の遺作の公演だぬ。

    >>4
    ところがドッコイ、ボカロ絡みのファンの連中は、冨田氏がボカロに流れて来たのは必然だったと認識して要るよ。何せシンセサイザーで喋らせ様として「パピプペおやじ」の異名を持つ方だしな。
    特にVOCALOIDの初音ミクファンからは、「ミクさんのおじいちゃん」として冨田氏を歓迎していた。

    >「金になると思ってサブカルにすりよってきた業界人」
    って思われて反発を喰らったのは、小室哲哉と村上隆だよ。

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