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日本のご当地グルメは古くから日本各地に存在し、地元の産業を活性化させる働きをすると共に、地震や津波などの天災から地域が立ち直るための、重要な活力の一端を担っています。
世界でも小さな国土を持つ国の一つとして、これほど多くの種類の郷土料理が存在するのはとても稀と言えます。
日本には北から南まで様々なご当地グルメ料理が存在し、中でも素早く調理ができて価格の安い軽食が各地で大衆の人気を集めています。
2006年より開催されたB-1グランプリという各地のご当地グルメを集めて行われるコンテストでは最初の年に63種類の郷土即席料理グループが参加し、51万人の人々が訪れる大盛況となり、以来毎年のように開催されています。
昨年このコンテストで優勝を果たしたのは岡山県の「蒜山焼きそば」で、普通のやきそばがウスターソースを使用するのに対して、この焼きそばは味噌を使い独特の味を持っています。
岡山県の蒜山高原は、気候的に米農業に適さず、その代わりに大豆が多く生産されています。しかも冬季には多くの雪が降り、外出が困難となるため、地元の住民は大豆を使った味噌を作って冬場を凌いでいます。
そして1950年代に、地元の主婦が高価であったウスターソースの代わりに、味噌を使ったことから蒜山焼きそばが誕生しました。これは地方のグルメが、その地域の歴史や文化の影響を受けて生まれたという良い一例です。
この他にも歴史あるご当地グルメには、寒冷な気候で米が育ち難く、代わりに麦を生産している青森県の八戸で、麦から作られるせんべいを使った「八戸せんべい汁」があり、200年以上も前から地元の人気を集めています。
またさらにタコの漁業が盛んな兵庫県の明石では、100年前に女性達の間でお洒落と珍重された「明石玉」にヒントを得て、米粉と玉子の白身から作られたたこ焼きをスープの中に入れた「明石焼き」が誕生し、現在でも多くの人気を誇っています。
日本におけるご当地グルメのほとんどは、1950年代から1970年代の間に作られました。
北海道の芦別市では1955年に「ガタタン」という郷土即席料理が生まれていますが、その頃同市では石炭採掘がブームとなり、採掘作業で疲れた石炭鉱夫達の食欲を満たす目的で作られました。
さらに1960年代には三重県の四日市では、地元の化学工場で働く労働者の為に、「トンテキ」という高価な牛肉の代わりに、豚肉を使った料理が開発されました。
1990年代にパーソナルコンピューターが登場し、地方の情報がシェアされるようになって民衆の間で最初に注目を浴びたのは各地のラーメンで、それぞれに異なったスープや具を使った個性的な味が大人気となりました。
そして景気が下降気味となった21世紀の初め頃から、人々は安価で美味しいご当地グルメに注目し始め、その人気は現在にまで至っています。
その他にも岡山県の津山市では市の中心街の過疎化が進み、それを改善する為に商店街やモール、流通センターなどの様々な手段を講じましたが成果が実りませんでした。
しかし1950年代から続いてきた名産である牛肉のホルモンから「津山ホルモンうどん」という安価で簡単なご当地グルメ料理を作り出し、2009年にはB-1グランプリで3位に入賞することに成功しました。
そしてその結果、日本各地から多数の人々が津山ホルモンうどんを食べる為に訪れるようになり、さらに地元の牛肉やうどんの売上も急激に増加しました。
それだけではなく人々が地元の公園や遺跡などを訪れるようになって、街は大きく活性化され、2010年にはおよそ33万人の人々が津山を訪れ、約26億円の総収入を得ることになりました。
さらに2011年に起こった東日本大震災で、被害を受けた地域の郷土即席料理を東京から食べに行くことで被災者達を助けようとする動きや、東京で被災地のご当地グルメイベント開いて募金を集めるなどの活動が行われ、復興の大きな助けとなりました。
これは人助けの為に、ご当地グルメが大きな役割を果たした例の一つと言えるでしょう。
日本のご当地グルメは地方を活性化させるのに非常に有効な手段であり、それのよって材料を提供する地元産業も復興させることが可能です。
そして何よりも災害被災者の救済という意味でも大きな役割を果たし、日本人の助け合いや人の和を作り出す努力と工夫は、世界の他の国に例を見ないものと言えます。
B-1グランプリはニュースではよく見るけど、実際に食べに行ったことない。高級なフレンチとかより、こうした安価なご当地グルメのほうが自分には合うと思うので、機会があれば是非食べに行きたいと思う。北海道のご当地グルメが食べてみたいなぁ。