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2013年、建築界のノーベル賞と言われる「プリツカー賞」を71歳にして受賞した日本人建築家がいる。彼の名は伊東豊雄。
世界の著名な建築家達と並んで、伊東豊雄の受賞は日本人で6番目となる。近年、この賞は、建築におけるグローバルな傾向を文化的な批判を背景に持つ建築家の受賞が続いていた。
そんな中で、伊東豊雄はすでに40年に渡るキャリアを持ち、これまで世界中で高い評価を得てきた。彼の受賞は驚きを持って迎えられたというより、むしろやっと受賞できたという感がある。
TOD’S表参道ビルや銀座のミキモトなど、伊東豊雄の建築は、構造的に斬新で美しく、常に私たちに新しい方法論を提示してきた。
個人住宅や公共施設も数多く手掛け、海外でもヨーロッパからアジアまで、ランドマークとなるような建築物をデザインしている。
国内外で才能を活躍する伊東は、世界の現代建築の流れに影響を受けながらも、常に「建築とは何か」という意義を自身に問い続けてきたようだ。
彼にとって特に大きな転換期となったのが、「せんだいメディアテーク」だ。13本の太い樹木のようなチューブが7層の床を支えるこの建物は、全面ガラス張りで建物のどこからでも外の景色が見渡せるようになっており、内と外の一体感を感じさせる。
建物の支柱としてランダムに配置されているチューブはスケルトン構造になっており、設備系統やエレベーター、採光や通風などライフラインとしての役割も持っている。
幾何学的で直線的な建築ではない、不規則で自然なうねりを感じさせる建築が、コンピューターを使って解析することで可能になった。
伊東は「建築を生き物の巣と捉えれば、そこには機能性だけでなく居心地の良さという感覚的な要素も必要になってくる」と言う。
せんだいメディアテークは、人々が集い情報を交換する場として、まさにこの感覚的な要素を大切にした建物と言えるだろう。
2011年の東北の震災も耐え抜いたこのメディアテークには海外から多くの人々が建築を見ることを目的に訪れる。
3.11の震災は、伊東にとって、建築とは誰のものか、改めて問い直すきっかけになったという。
伊東が建築を担当した被災地に建つ「みんなの家」は、仮設住宅で暮らす人々の憩いの場としてシンボル的な存在となった。
人が集まることで新たな価値が生まれる、動きのある建築を考える伊東豊雄は、広大な視野を持った稀有な建築家として、今世界から注目を集めている。
伊東豊雄は建築の創作過程において大事にしている信条として、同時代の人といかにすごい!という意識を共有するかということを挙げている。
建築物がどういう意味を持ち、どんな象徴となるか、それを最初から予測することはできない。あくまでもその場所を使用する人々が新たな価値を追加していく。
そう考えれば、建築物は時間を経て成長していく自然とも捉えられる。身体的な体験を建築に盛り込もうとするのも、あくまで人や自然という私たちのリアルな環境に重きを置くからである。
私たちも小難しく考えず、1度素直な心で伊東豊雄の建築に向き合ってみてもいいかもしれない。
(参考)http://www.nytimes.com/2013/03/18/arts/design/
toyo-ito-wins-the-pritzker-architecture-prize.html?_r=0
http://www.theguardian.com/artanddesign/architecture-d
esign-blog/2013/mar/19/toyo-ito-pritzker-prize-architecture
http://www.archdaily.com/344740/2013-pritzker-prize-toyo-ito/
http://www.fabricegueroux.com/Montres-Hermes-l-architecte
-Toyo-Ito-habille-le-monde-horloger_a1572.html
https://www.youtube.com/watch?v=TLBWQHW7-j0
https://www.youtube.com/watch?v=NZJSjTIm2Uk
https://www.youtube.com/watch?v=s48eEBc6WOk
東北の大震災で残った建物として、世界中の人々から称されるのは素晴らしいと思う。
単にデザインが素晴らしいだけでなく、建築として最も重要な”建築物であること”が彼の作品には根底としてあって、それが証明された出来事だった。