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「日本は清潔だ」「ゴミひとつ道に落ちてない」という海外の人たちが持つ日本の印象が良く知られています。
小学校、中学校、高校では公立、私立にかかわらず生徒による清掃業務がふつうにカリキュラムに組み込まれていますが、海外では、成人の学校側の用務員や清掃担当者が構内を掃除することも多いとされています。
そんな中、サウジアラビアでは生徒が授業中に清掃業務を強いられているということに対して、生徒達やその両親たちから不満の声が出ているようです。
学校で生徒が掃除することに関して、世界の声を集めてみたので見てみたい。
サウジアラビアの公立学校の生徒から構内の水不足に加え、衛生面に関する苦情が出ています。生徒の中には学校内の清掃は強制的であったり、時には学校側からの掃除への手伝いを求められているという。
学校構内の清掃を自分たちで行う生徒達
地元紙が生徒とその両親に会い、インタビューをしたところ、教師、校長および教育機関への懸念に声が集まりました。
「空調システムに支障をきたすほど教室は今年のはじめからホコリだらけなんですよ。」と、生徒達はインタービューで答えています。
授業中に空調システムの掃除を強いられ、授業自体もそのために終了時間が延長されることもしばしばあったようです。サウジアラビアの教育制度に詳しいコメンテーターによると、
と語っています。
喘息を抱える生徒や、呼吸器官系の問題を抱えている生徒にとって、ホコリは天敵となりえます。
清掃が行き届いていないサウジアラビアの学校の階段
学校側は、こういた状況を放置するのではなく、日常的に清掃が行き渡るように、すぐにでも用務員を雇用すべきだと指摘しています。
用務員の給料は、学校側の予算から支払われるようにするべきだし、学校によっては、学生食堂運営費から捻出したり、学校の教師から寄付を募って毎週金曜日に清掃できるようにしているところもあります。(注意:金曜日はイスラム社会にとっては、安息日とされており、欧米社会で言う日曜日にあたる)
ただ「こういう方法は非合法であり、また週に1度の清掃だけでは、学校の衛生面は保たれません。」と問題視しています。
管理運営予算から学校のサイズ、生徒数、学校の立地場所、雇用費などの諸条件に応じて、学校が独自で企業を採用できるシステムを導入すべきだし、レストラン等に構内の一部を賃貸し、そこで生徒の健康面を考えたメニューを提供できるようにすれば、学校側にも収入が増やすことができるのではないでしょうか?という提案する教師もいます。
匿名でインタビューに答えた教育管理者は、
生徒の清掃活動は、ボランティア活動などなどに限定されているのです。よって、現状のギャップを埋めるためには、生徒に清掃業務を強いるのではなく、一般の清掃業者から人材を雇用して行うのが好ましいと考えるべきです。」
と、インタービューで答えてくれた。
イスラム社会の人間だけに限らず、欧米社会でも「責任感」を養う上では歓迎されることではなかろうか?
ただ大掛かりは清掃に関しては、業者が行うべきだと思う。これらを通じて、家庭でメイドが清掃しているのを今まで何も気にしなかったことも、感謝の気持ちも出てくるようになると思うよ。
学校の給食の時間には、生徒が配膳もし、食器の片付けを担当する係もいました。これは当番制で、みんなが担当することになっていました。クラスメートと一緒に掃除することは、結束力も強まるよ。アメリカの学校でも導入すべきだと思いますよ。
これは誰かの仕事で、誰かがやるであろう、という考えから来ているものだけどね。今まで、自分たちで清掃したりすることは過去になかったけど、今25歳になって用務員の仕事ってばかばかしいと正直感じてるところ。
もし生徒が放課後に掃除をするってことになれば、当然こういったゴミや悪環境はすぐに亡くなると思うよ。掃除する立場に立てば、汚い状態には我難できるひとはいないはずでしょう。
もともときれいで整頓されているところは、そのままの状態を維持する傾向があるけれども、一旦汚れたり、散らかりだすとその後は悪化するのみ。
最初に散らかした人を捕まえて罰する方法をしないと、「これは誰かがやったんでしょ?だから自分は関係ない」みたいな態度になってしまうことが多いね。
ケチャップ袋に小さい穴を開けて、きつくしぼると、テーブル二つ超えるくらい飛距離がでるんだってことを発見したので、ママが化粧室に行っている間に10数個のケチャップの袋を使ってケチャップ飛ばしをやって遊んでたんだ。
そしたら、戻ってきたママに見つかって、「ナプキンをとってきれいに片付けなさい!」って言われたときに、「なんで僕が掃除するの?メキシコ人の仕事でしょ?」って答えたのが大間違い。
ママは立ち上がって、お店の責任者の所に直行して、僕たちにレストランのロビー全体の掃き掃除、モップがけ、テーブルと椅子の片付け、窓の掃除をさせていいかと了解を取っていたみたい。
ママは追加で僕たちにトイレ掃除もさせたかったみたいだけど、お店の責任者はそれには合意しなかった様子。この経験から3つのことを学んだね。
掃除係を馬鹿にしない、差別的な発言はいけない、正しいモップがけの仕方。
日本では文部省(現文部科学省にあたる)による学校教育法31条「学校清潔法」の中で、教育現場における清掃活動の重要性を支持しています。
またこの学校清潔法の中には、現在見られる休憩時間や放課後の清掃にあたる「一時清掃方法」、時期を決めて行われる大掃除にあたる「定期清掃方法」、災害時などに行われるような「臨時清掃方法」に分かれています。
学校清潔方法(昭和23年4月14日 文部省訓令第2号)
学校の環境を清潔に保つことは、学生生徒児童及び幼児の健康並びに学習能率の向上を図るために重要であり、なお清潔な環境における生活は、おのずから清潔に対する習慣と態度を養い、衛生思想を向上し品位を高めるものである。
都道府県知事は地方の実情に鑑み、学校当局者に左の方法によって学校内外の清掃を実施させ、学校の清潔保持に努めさせなければならない。
なお、学校における清掃の指導訓練は、衛生教育の一環として系統的に実施させ、その実践は、学校だけにとどまらず生徒児童の家庭にも及ぼし、更に社会公衆の衛生思想並びに美的観念の高揚にまで及ぶことを期待しなければならない。
清掃の目的は、保健衛生や生活しやすい環境を維持するために必要なもので、美意識に映る学校の印象は、そこで生活する子どもの心的状況を反映し、整えられた環境も子どもの心を育てること、と考えられています。
言い換えれば、環境に働きかけ、健康的な生活環境をつくる過程の中で、子どもの豊かな心をはぐくむことができる、ともされています。
また、昨今の学校教育現場では、「させられる清掃」から「する清掃」への意識改革をはかっており、心をはぐくむ清掃活動(黙働清掃と呼ばれている)の在り方を模索する必要があると考えています。
その中で、清掃の目的を「きれいにすること」ではなく、「きれいにしようとする意志、能力、態度を育てる」こと、すなわち「心を磨く」ことにフォーカスし、新しい清掃スタイルを作り出そうと努力しているのが現状の取り組みです。
こうした背景から、海外諸国と異なり、小学校低学年の頃から「清掃」に関して身近に感じている日本人にとっては、後片付けは自分で行う、汚したらきれいにするという自主的な行動が生活にしみ込んでいると言っても良いかもしれません。
「日本はきれい」「街中にゴミ一つおちていない」という海外の声を耳にします。今後2020年東京オリンピックで海外から、東京だけでなく、日本各地を訪問する外国人の数も急増することが見込まれているのも事実です。
都会は田舎にくらべて比較的ゴミが散乱している姿を見ることは少ないけれども、まだ田舎の田んぼ道や、ちょっと街中はずれた路地で「ポイ捨て」を見ることがあります。
ポイ捨てゴミのない「きれいな日本」を見てもらえるよう、幼い頃から学校で培ってきた経験を是非とも発揮してほしいものですね。
(参考)http://www.arabnews.com/news/466279
日本では子供の頃から学校で掃除を行っているので、掃除することに対して不満などは一切ないと思う。
自分で汚した部分は自分で掃除するという考えが身につけば、始めから汚さないよう気を付けるため、結果きれいな学校や街が保たれると思う。
ゴミは心の迷いから生まれる。
歴史を考えると日本は初めから清潔な国ではなかった。日本へ輸入された大乗仏教の中で特に禅の研究が日本では盛んになるわけだが、「生活是修行」と考えられ実践されるようになった。清掃のみならず布団の上げ下げや洗濯物をたたんだりする習慣はこの頃から庶民に広まることになる。
禅宗の修行に「外観」という行がある。これは僧侶が鏡の前で“自分は悟りを得ています”というポーズをとるという修行。いかにも自分が悟りを得たというようなフリをするというもの。檀家に対しての誇示でもあるが、この行をとおして外面から内面を磨こうという意味がある。悟りを得た行動をすることによって本当に悟りを得ようというもの。
女性は化粧をする。毎朝鏡で髪の毛をセットするが、化粧のノリや髪の毛のセットが上手くいかないと一日憂鬱になると言う。外見が心に影響を与える現代でも通じる良い例だと思う。
日本人は上記の例を知っているから、学校で実践教育しているのだ。事は“宗教教育”に当たるため、海外で実践させるには・・・適さないかも、ネ!!
汚い