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昭和を代表するテレビアニメのひとつ「タイガーマスク」。放映当時、その主人公「伊達直人」に憧れて「将来はプロレスラーになるんだ!」と作文に書いた男子も少なくなかったはずです。
どんな夢でも、夢を実現させる為には「努力」と「情熱」が大切ですが、プロレスラーへの道は、それこそ血のにじむような過酷な特訓に耐える「根性」も必要です。
幸運にもプロレスの世界へ進めることが出来る人はごくわずか。そして、リングの上で輝かしいチャンピオンベルトを手にできるのは、ほんの一握りのレスラーというとても厳しい世界なのです。
リング名「ウルティモ・ドラゴン」こと名古屋出身の浅井 嘉浩さんは、アニメから誕生した実在するプロレスラー「タイガーマスク」に憧れて、プロレスの世界を目指しました。
そして、多くの試練と致命的な怪我を乗り越え、今では日本だけでなくアメリカやメキシコに多くのファンを持つ、覆面レスラーとして活躍するプロレスラーになったのです。
高校を卒業した後、「新日本プロレス」の入門テストを受けた浅井さんですが、体力テストは何とかクリアしたものの、 172cmの身長はレスラーとしては低すぎるという理由で、結果は不合格。
それでも浅井さんはプロレスラーになる夢を諦めませんでした。大きな転機が訪れたのは「日本ボディビルダーセンター」のお手伝いをしている時でした。
ボディビルセンターの会長さんを通して、元プロレスラー「山本小鉄(故)」さんに出会う機会に恵まれました。
浅井さんのプロレスへの情熱に心をうたれた山本さんは、彼を練習生としてプロレス道場へ通うことを許可したのです。こうして、浅井さんは子供の頃からの夢だった「プロレスラー」への一歩を踏み出しました。
プロレスラーとしてデビューしたのは1987年、メキシコでのことでした。
当時は、素顔のままでリングに上がっていた浅井さんですが、1990年に世界で一番古いプロレス団体EMLL(現:CMLL)に誘われたのを機会に「ウルティモ・ドラゴン」として華麗に再デビュー。
以来、覆面レスラーとして、メキシコ、アメリカ、日本の有名プロレス団体で活躍し続けています。
1997年にはメキシコに日本人レスラー養成学校を設立した浅井さんですが、自身が身長の低さで入門を断れたという悲しい経験をしたことから、この養成学校の入学志願者には身長の制限を定めませんでした。
このレスラー養成学校の卒業レスラーは、偶然にも「イケメン揃い」だったらしく、彼等は「空飛ぶホストクラブ」という愛称で呼ばれていたそうです。
では、この熱いレスラー「ウルティモ・ドラゴン」について、ファンの人たちの思いを聞いてみました。
プロレスラーと聞けば、その体つきからファッションとは縁遠いイメージがありますが、浅井さんは「世界一おしゃれなレスラー」と呼ばれるほどファッション好きで有名です。
日本のファッションサイトにも登場し、パリっとしたスーツに身を包んだ姿はまるでプロのモデル顔負け。
でも、覆面レスラー「ウルティモ・ドラゴン」としては、どんな場面でも素顔を公表するわけにはいかないので、スーツ姿でもしっかり覆面はかぶっているようです。
未だプロレスラーとしてリングに上がりながら、日本とメキシコのプロレス界の架け橋として活躍する「ウルティモ・ドラゴン」こと浅井さん。機会があれば、是非リングでの戦いぶりを応援してみたいものですね。
(参考)http://www.reddit.com/r/SquaredCircle/comments/2eg271/why_
didnt_ultimo_dragon_work_out_in_wwe/
海外で有名な日本人レスラーなんてすごい!プロレスは特に興味ないけど、この記事読んでからウルティモ・ドラゴンを見たくなった。まだ現役でよかったぁ。そこまで身長低くはないと思うけど、プロレスは厳しいと思った。
アサイムーンサルト
そうそうWWEに出てたよね
華やかさがあって印象的だった。日本人だったのかあ…凄いなあ。