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第二次世界大戦は多くの悲劇を生みましたが、同時に多くのエースパイロット達が活躍しました。
大空を自由に駆け巡る戦闘機乗りの中でも伝説的なエースパイロットがドイツ空軍のエーリヒ・ハルトマンです。彼の公式撃墜数(以下スコア)は空戦史上断トツ1位の352機とされています。
エーリヒ・ハルトマンは1922年にドイツ南部のヴァイスバッハに医者の子として生まれます。彼の母親はドイツ初の女性パイロットの1人として知られ、グライダークラブも設立。
そんな環境で育ったハルトマンは14歳の時には滑空免許、15歳で教官資格を得ています。高校卒業後はドイツ空軍の航空士官学校に進み、1942年に卒業しています。
当時の彼は有能であっても自由人で正義感が強くて組織に馴染めないタイプだったようです。
少尉として部隊配属になり、半年後にはエース(敵機を5機以上撃墜したパイロットに与えられる称号)となっています。
日本の零戦のパイロットが好んだ戦法、巴戦(いわゆるドッグファイト)ではなく、ドイツ軍伝統の一撃離脱戦法を独自に発展させ成果を残していきます。敵を先に発見し、敵が気づく前に不意打ちをかけて、すぐに戦線を離脱するというものです。
これはかなり徹底したもので、不意打ちができないと判断すれば、敵を見逃すことも辞さないものでした。味方の消耗を減らし、敵の消耗を増やすという徹底した合理主義に基づくものです。
撃墜スコアを202機に伸ばした時には柏葉付騎士十字章を、300機を超えた時には柏・葉・剣・ダイヤモンド付騎士十字章(授与者はトータルで27人のみ)をいずれもヒトラー総統から直々に授与されています。
ハルトマンは愛機メッサーシュミットBf-109Gのエンジンカウル(エンジンを覆うカバー)に黒いチューリップの花弁を、コクピット横に小さなハートとカラヤ・アイン(彼に中隊のコードネーム+1番の機体番号)をあしらっていました。
若干22歳でドイツの国民的英雄になっていたハルトマンはソ連軍から「黒い悪魔」と恐れられていたのです。
ソ連軍はハルトマンに10,000マルクの賞金をかけますが、ソ連軍パイロットは彼の黒いチューリップマークを見ると一目散に逃げて出したと言われています。
ハルトマンが実戦に参加した期間は2年半ほどしかありません。その間、1405回の出撃をし、825回の空中戦を行っています。
一方、16回も撃墜(不時着を含む)されているのです。1度はソ連兵に捕まって捕虜になりますが、自力で脱出して基地に帰還。そしてヒトラー自殺の後も終戦の日まで撃墜スコアを伸ばし続け、少佐として退役しています。
ドイツの国民的英雄であり、ソ連の憎悪の対象であったハルトマンは戦後に連合国側から報復的な処置を受けます。
ドイツ軍首脳はハルトマンに、捕虜に対して人道的なイギリスへの投降を命令しますが、ハルトマンは部下らとアメリカ軍に投降し、身柄をソ連に引き渡されます。
そして虚偽の犯罪自白書類にサインを強要され、重労働25年の刑を受けたのです。10年6ヶ月後、最後に釈放された16,000人のドイツ兵捕虜の1人として帰国が許されたのでした。
ハルトマンを紹介したインタネット上の動画には数多くのコメントが寄せられています。
ハルトマンを含む多くのドイツ空軍パイロットが高い撃墜スコアを記録したのはいくつかの要因があります。
戦闘機の性能やパイロットの技能、空中戦法がソ連軍に優っていたこと、陸上での空戦だったのでパイロットの生存率が高かったこと、狭い戦線に大量のソ連軍が侵攻し、慢性的なパイロット不足でドイツ空軍の出撃回数や接敵回数が多かったことなどが挙げられます。
しかし、ハルトマンは自身の撃墜スコアを自慢することはなく、むしろ彼が率いたパイロット達の命を一人も失わなかった事を誇りにしていました。彼自身も一度も負傷したことがなかったのです。
帰国後のハルトマンはドイツ連邦空軍に復帰し、戦後初のジェット戦闘機パイロットとして活躍。司令職などを歴任し48歳で少将として退役しています。そして1993年、古今無双の天才パイロットは71歳でこの世を去ったのです。
ソ連が公式にハルトマンへの戦犯が不当だったと認めたのは彼の死後4年目の1997年のことでした。
(参考)https://en.wikipedia.org/wiki/Erich_Hartmann#Prisoner_of_war
http://www.warbirdsresourcegroup.org/LRG/hartmann.html
http://chrismasna.deviantart.com/art/Ace-of-Aces-284506246
2年間で1405回も出撃してるなんて、ちょっとブラックの臭いが漂う。戦時中はどこもブラックかもしれないけど。
狭い戦線…だと?
南はカフカスから北はバルト海までの長大な戦域が狭い?
陸の上だから不時着して再度の機会もある。
永遠の0達は、海の上が舞台、不時着は死だった。
そのハルトマンから化け物扱いされるルーデルとかいう存在
いかん。パンツじゃないから恥ずかしくない方が先に頭に浮かんでしまう。
金玉潰されそう
エーリカ…
ハルトマンはたしか最初は何度も撃墜されてブービーと呼ばれてたが、失敗を糧にどんどん上達していったんだそうな
不時着できるって素晴らしいな……日本も陸地戦闘だったなら……
あと個人的にはハルトマンやルーデルも良いがマルセイユが好きだわ
アニメのストライクウィッチーズのキャラと顔似てるな。
暗号もそうだけど黄金の国ジパングってタイトルとは直接的な関係は無いな
でもまあ、こういう話も好きでは有るけど
ハルトマンやヴィットマンは本当に凄いよ
しかし、ルーデルは一人だけ完全に別次元
神の領域というか、なんというか・・・
〉エース(敵機を5機以上撃墜したパイロットに与えられる称号)
5機以上撃墜でも相当に大変なことですが公式撃墜数352機ですからね、経験値や技量によってのエースなのでガンダムのニュータイプのように覚醒したわけではないでしょうが、戦史において時に突出したエースが現れるものです。余談ですけど最大の戦車戦クルスクの戦いでのドイツ空軍の働きを書いた洋書を読んだことがあります、広大なロシア平原でロシア軍陣地目標を見誤り(見失うこともあり)、甚だ不十分な空爆であったことが書かれていました、結果空爆の戦果がほとんどないままの正面きっての戦車戦となっています。この辺はもっと広大な地域、太平洋上の島々で日夜空戦をしていた日本軍パイロット達にはなんら問題にならないことだったでしょう、また皆さんが仰るようにヨーロッパ大陸は陸地なので何度か撃墜されても生還しエースになったパイロットもいますね。
100機以上撃とすだけでも天才としかいいようがない、相手は殆どは獣ロスケ郎なので死んで当然、彼は純粋に祖国防空義務を果たした英雄である 他にルーデル大佐=爆撃機パイロットというめちゃ凄い空軍軍人がいたので興味ある人はぜひググって確認してくださいませ!
ドイツ旧軍には女性パイロットもいる。勲章もらってるハンナ ライチュは有名でMe262=ジェット戦闘機のテストパイロットとしても従軍=正規軍人ではなかったようだ→していて かつてのドイツは男女ともに優秀な人が多い。特に日本の一般人はナチスとドイツ軍人を同一視してるバカマヌケが多いみたいだ。
ドイツは陸軍でもすげぇのがいる。特に狙撃兵部門 マシアス ヘッツェナウアーとか→ボトルアクシュンの旧式モーゼルで確か3ケタのイワン野郎を葬ってたと思う=偉い‼ 機甲だとSSだがヴィットマンが有名 不幸にも対戦末期に殉死なされている。