日本の魅力を発掘するだけでなく、他国の環境・法律・文化などを見て、いかに日本が素敵な国かを見直すサイトになります。
空港でのトラブル、みなさんも一度は経験しているのではないでしょうか。日本に比べると海外ではトラブルの回数も難易度も一段とアップします。
シャウエンからバスで空港に向かいました。かなり遅れてしまい、離陸40分前に到着した私はかなり急いでいました。両替を済ませ、パスポートチェックの列に割り込み、税関を通ろうとしました。
飛行機に乗り遅れそうだという心配もありましたが、私はそれ以上に必要なことがありました。それはトイレです。2、3日前からお腹の調子が悪く、飛行機に乗る前にトイレに行きたかったのです。
荷物検査の間、トイレに行きたいと言いました。それが大きな間違いでした。空港のセキュリティは私が薬を持っているのでは…と疑いました。2人の警備員と麻薬犬が出てきました。
私の荷物検査は念入りに行われ、別室に連れていかれました。警備員は胃の中に薬を隠していないかと私のお腹を突付きます。私は誤解だと説明しましたが、今度は医者のチェックが必要だと言われました。
そして、やっとトイレに行くことを許されましたが、1人ではありませんでした。検査員の前でトイレを済ませなければならなかったのです。検査後、私はやっと飛行機に乗れました。恥ずかしかったって?とにかくもうそんな余裕はありませんでした。
荷物検査が終わって、ある検査官に呼び止められました。「荷物を一つ忘れているよ」と言って、グラスが入っている袋を渡してくれました。私は特に深く考えずに受け取ってしまいました。
その後、カフェでコーヒーを飲んでいると3人の警察官と男の人が来て、私の荷物を指さしています。
私はスペイン語が分からないので、事情が理解できませんでしたが、横にいたドイツ人が説明してくれました。単なる勘違いで、持ってきてしまったらしいのですが、グラスのために警察官が3人って、ちょっと苦笑です。
暑い夏のこと。フライトが急にキャンセルになって、乗り換えの飛行機に乗れませんでした。問題はスーツケースの中のチーズ。全部溶けきって、私はチーズ臭い靴下を履くはめに…。
世界一周旅行最後の旅からロンドンへ帰るフライトをクスコのオフィスで予約したときのこと。ほっとしたのもつかの間、そのフライトの日付が1年後であることに気づきました。
イースターでオフィスが閉まってしまったため、ネットで変更しようとしましたが、できませんでした。とりあえずリマに行き、そこで何とかしようと思いました。
3時間の交渉も虚しく、わたしたちはフライトを変えてもらえませんでした。航空会社側のミスであるにも関わらず…。
「こんな国大嫌い!」という捨てゼリフを残し、英国航空に電話しました。安くはないけれど、すばらしい対応にさすが英国!と感動。ペルーの航空会社から返金と謝罪の手紙が来たのはおよそ4ヶ月後でした。
1980年。まだ、20代だったころザイール(現在コンゴ共和国)に行った時のこと。ほんの数時間の経由でした。ラウンジで待っていると1人の警官が近づき、パスポートの提示を求められました。
彼らに空港の中の警察オフィスに連れて行かれ、なんとお金を請求されたのです。私はやんわりと断り、切り抜けようとしましたが、このやりとりは1時間ほど続きました。私の飛行機が到着し、彼らはやっと諦めました。
飛行機に乗ろうとしたとき、パスポートを彼らに預けたことを思い出しました。客室乗務員に言って、取り返してもらいましたが、後で考えるともしかしてザイールの刑務所に入れられる可能性もあったんじゃないかと思います。
悪天候のため、フランクフルトでかなりの遅れが出ました。到着してもゲートが空いておらず、滑走路で待機となりました。隣には偶然私が次に乗るだろうと思われる飛行機も止まっていました。
最後の乗客が乗り終えた後のようでしたが、私は乗せてくれるよう頼みました。預け荷物もなく、すぐ乗れるにも関わらず、飛行機は行ってしまいました。
20年前、祖母の話です。祖母は70歳近く、英語も話せませんでした。ですから、中国から英国まで直行便を予約し、空港まで迎えにいきました。
始めは遅延のサインが出ていましたが、それさえも消えてしまいました。私たちはそのまま空港に泊まり、知らせを待っていました。結局、3日後、飛行機は英国に到着しましたが、その間、祖母はどこにいたのか分かりませんでした。
しかし、飛行機の中で知り合った人と楽しい時を過ごしたようです。数ヶ月後、その人から届いた写真にはモスクワで笑っている祖母が写っていました。
みなさん預け荷物で苦労されていると思いますが、私の場合は車いす。電動の車いすを預けるときはいつも大変です。今回も主人がどうやって電源を切るのかを説明するのに四苦八苦していました。
その後、客室乗務員とのやりとりを終え、ほっとしたのもつかの間、私たちに悪い知らせが届きました。なんと私の車いすは20フィート下のコンクリートに落下し、壊れてしまったというのです。
と同時に私たちのバカンスも台無しになってしまいました。車いすのレンタルは難しいですから…。荷物の遅れ?大丈夫。大したことじゃない!
記事を受けて、ますます経験談に花がさきます。
経由でブカレストに着いたとき、武装した軍人にエスコートされた。暴動で空港は閉鎖されていて、電球がぽつんと灯っているだけだった。12月で外は雪が降るぐらい寒いのに私はキプロスに行くからTシャツしか持っていなかった。寒くて死にそうだった。
時間は大幅に遅れ、マドリードに着いた。やっとマラガに着いた時は夜中過ぎ。空腹の中、やっとガーリックスープにありついた。
ガードマンに連れられて、検査室に行くと、7歳のむすこの誕生日に買ったプラスチックのおもちゃの銃と絵かき用のペンナイフが…。私は恥ずかしさで真っ赤になった彼らの顔が忘れられない。
ヨーロッパの空港をたらい回しにされた後、フランクフルトに到着。でも、飛行機から降りることはできなかった。ロンドンの状態が落ち着いて、飛行機はロンドンに向かうことになったけど、その間私たちは食べ物も与えられなかった。飲み物はビールか7up。
やっとロンドンに着いたときには24時間経っていた。伯母が迎えに来てくれえてずっと待っていたのだけれど、運悪く犬を連れてきていたの。犬はストレスでいらいらしていて、伯母は空港で犬を放し飼いにするしかなかった。
私「言ってない」彼「言った」私「本当に言ってない」彼「言った。なぜ、嘘をつく?」私「言ってないし…」私の初めてのアメリカ旅行でした。
税関のカードをもらった瞬間私は凍りついた。「フィリピン?」飛行機を間違えた?それにしてもどうして気づかなかったんだろう?パニックに陥っていると向こうで「フィリピン!この飛行機はマニラに向かうのか!」と男性が叫んでいる。
客室乗務員が飛んできた。「マニラ?本当?すぐ確認します」彼は裏に向かった。その後、機長のアナウンスが流れる。「みなさま、この機体は台北からバンコクに向かいます。バンコクです」
先ほどのゲイの客室乗務員は「すみませ~ん」と正しいカードを配り直していた。
世界は広いですね。数々の信じられない体験談がありますが、どれもこれも避けようのないトラブルのようです。トラブル発生時の航空会社の対応にも期待できません。この点は言葉が通じたとしてもあまり変わりがないのでは?と感じます。
海外旅行にトラブルはつきもの!と諦めて、死なないで済むのなら、後々いい思い出に変わるはず!!ということにしておきましょう。
(参考)http://www.theguardian.com/travel/2014/jul/02/ten-airport-horror-
stories-never-want-to-fly-again
みんなここぞとばかりに不満を言ってこんなに問題が多いんだとびっくりした。なかにはお国柄なのか対応が酷すぎるのもあって、せっかくの楽しい旅行が台無しになってしまう可哀想なのもあった。
うわあ、これから絶対JALかBAしか乗らないわ。