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バランスパフォーマンスが世界中で称賛されている日本人女性がいます。彼女の名前はシダ ミヨコさん。しなやかで美しいパフォーマンスは圧巻です。今回は彼女とそのパフォーマンスを紹介していきましょう。
話題になっているパフォーマンスは、「サンドロン・バランス」と呼ばれる難易度の非常に高い技です。
まず、鳥の羽をスティック(ヤシの枝)でバランスよく支え、更にそのスティックを次のスティックで支えていきます。片手でバランスとりながら、残りの手と足でスティックを掴み、スティックを継ぎ足していくのです。
最後の1本を柱にして、その上では羽や棒はバランスを維持したままです。最後に羽を外すと一気にバランスは崩れ、パフォーマンスは終了します。
このパフォーマンスを披露するシダ ミヨコさんはユニークな経歴を持つ方です。1960年、広島県福山市生まれの彼女は山口大学で国文学を学び、化粧品会社勤務を経験。
25歳の時にカルチャーセンターでダンスを習い始め、20代後半でダンサーへ転身。それからアメリカやフランスで芸の道を探求し続け、1999年、30代後半で師匠となるマディール・リゴロさんのパフォーマンス集団に入団します。
遅咲きとも言える経歴ですが、実は彼女の家系は義太夫(ぎだゆうぶし)の流れを汲んでいます。義太夫とは国の重要無形文化財にもなっている浄瑠璃の一種。彼女の中にはアーティスト・パフォーマーの血が流れているんですね。
師匠のディール・リゴロさんはカナダ・モントリオールにある国立のサーカス学校「エコール・ナショナル・ドゥ・シルク」などでサーカスや演劇を専門的に学び、自身のパフォーマンス集団を創立し、現在はスイスを拠点に活動をしています。
「サンドロン・バランス」をマスターしているのは、完成者のディール・リゴロさんと「リゴロ」の名取り名を持つ弟子のララ ジェイコブスさん(マディール・リゴロさんの実娘)やシダ ミヨコさんら数名のみです。
同じパフォーマンスでも人によって雰囲気がかなり違います。師匠とララ ジェイコブスさんはかなりワイルドで力強く感じますが、シダ ミヨコさんのパフォーマンスはとても女性的で清楚な感じです。
なお、マディール・リゴロさんは2013年に日本のテレビ番組企画のパフォーマンス・コンテストに優勝し、神業バランス芸で約760万円を獲得しています。
師匠を含む「サンドロン・バランス」はユーチューブ上で公開されていますが、圧倒的な再生回数を記録しているのはシダ ミヨコさんです(2016年現在で270万回以上)。彼女のパフォーマンスには世界中から称賛さえています。
「サンドロン・バランス」のように特殊なバランス感覚を必要とする芸は他にもあります。
瞬間接着剤や杭を使わずに、大小異なる形状の石を高く積み上げる「ロック・バランシング」を専門とするアーティスト達もいます。これはイギリスでは古くから行われているパフォーマンスとのこと。
いずれにしても、このようなアートパフォーマンスはテクニックだけでなく、メンタル面も重要のようです。
現在のシダ ミヨコさんはフランスを拠点にMiyoko Shida Rigoloの名で活動中です。
「サンドロン・バランス」技が注目されていますが、舞踊家としていろいろなアートパフォーマンスも披露されています。国内外で彼女の公演があれば、ぜひ観に行きたいですね。
(参考)https://twitter.com/miyoko_shida
https://www.facebook.com/Miyoko.Shida.Rigolo/
http://www.rigolo.ch/
嘘かと思う本当の荒業だった。あんなに長い棒なら、そう難しくはなさそうな感じがするけど、どれぐらい練習時間が必要なんだろう。
ご紹介いただき、誠にありがとうございます。
大変恐縮ですが、以下にご紹介頂いた文章は、誤りですので、削除をお願いいたします。
「それからアメリカやフランスで芸の道を探求し続け、1999年、30代後半で師匠となるマディール・リゴロさんのパフォーマンス集団に入団します。遅咲きとも言える経歴ですが、実は彼女の家系は義太夫(ぎだゆうぶし)の流れを汲んでいます。義太夫とは国の重要無形文化財にもなっている浄瑠璃の一種。彼女の中にはアーティスト・パフォーマーの血が流れているんですね。」
「師匠のディール・リゴロさんはカナダ・モントリオールにある国立のサーカス学校「エコール・ナショナル・ドゥ・シルク」などでサーカスや演劇を専門的に学び、自身のパフォーマンス集団を創立し、現在はスイスを拠点に活動をしています。」
ご参考までに、補足してご説明いたしますと、
Miyoko SHIDA (ミヨコ・シダ)は、2017年現在、フリーの現役舞踊家で、サントンバランスを上演するときのみ、ライセンスの関係で、Miyoko Shida Rigolo (ミヨコ・シダ・リゴロ)と、表記されます。(つまり、サントンバランスの時だけです。)
また、マディール・リゴロ(リゴロ・スイス・ヌーボーシルクの創設者であり、ディレクターで、サントンバランスのオリジナル・パフォーマー)のプロジェクトとMiyokoとの関わりは、日本で言うところの、「師匠」「入門」といった、流派や、学校を示すものとは全く異なります。
ほとんどの場合、ヨーロッパでのプロフェッショナルの仕事は、プロジェクトごとの、契約となります。
マディール・リゴロは、フランス・パリの「エコール・ナショナル・ドゥ・シルク」などでサーカスやマイム・演劇を専門的に学び、その後スイスの地元に戻って、「リゴロ・タンツェンテステアター」を創設します。(今年で約40年)
サントンバランスは、そういった長い歴史の中、1996年/1997年頃に、マディールによって創作され、発展を経て、今日まで、彼自身によって、上演されてきました。
一方、
Miyoko SHIDAは、1986年から1996年までの10年間、故ジュン・キョウヤの主催するモダンジャズのカンパニーに所属しておりましたが、彼女の師匠であるジュン・キョウヤ(のちエムザブロウ)が、義太夫三味線方の血筋であり、1960年代に渡米し、アルビン・エイリーや、ルイジと仕事をした方でした。
(ですから、Miyoko SHIDAは、義太夫とは関係なく、またアメリカで勉強をしたこともありません。)
退団後の、1997年(37歳当時)渡仏し、ヨーロッパでの活動の際、「バランスタンツ」(1999/2000年)に、ダンサーとして、また2001年に振付家として、イタリア、スイスで「リゴロ・タンツェンテステアター(リゴロ・スイス・ヌーボーシルクの前進)」と短期契約したのちの10年間は、再び、ほとんどフランスを中心に、「バルタバス」「ボブ・ウィルソン」「ミリアム・グッフィン」他、多くの演出家、振付家と、単発でコラボレーション契約をしております。
(リゴロ・スイス・ヌーボーシルクに所属していた訳ではありませんし、現在も正確には、(日本でいうところの)所属ではありません。)
その後、マディールから「サントンバランス」女性版の依頼があった際、一度めは、(他のプロジェクトとの契約のため)辞退。2011年夏に、2度めの依頼を受け、初めて準備を開始しました。
マディール本人からは、主に素材を中心とした、扱いの手ほどきを受け、その後、マディールのオリジナルパフォーマンスをもとに、パリでひとりで Miyoko Shida Rigolo バージョンを完成していき、2012年の初めに、舞台に乗せています。
長い歴史の流れを、少ない情報源で、ご想像いただくのは、大変な作業で、ご苦労があったのかと思いますが、完全な誤りと思われる部分については、削除でご対応いただきたく、重ねてお願いいたします。