当サイトについて

日本の魅力を発掘するだけでなく、他国の環境・法律・文化などを見て、いかに日本が素敵な国かを見直すサイトになります。

【動画あり】ベンガルの虎!インドの英雄、スバス・チャンドラ・ボースの生涯

このエントリーをはてなブックマークに追加
2016/01/01

W389

インドの独立運動には「非暴力・非服従」をスローガンとしたマハトマ・ガンジーやインドの初代首相のジャワハルラール・ネルーが有名です。しかし、歴史の影に隠れた英雄として近年スバス・チャンドラ・ボースの偉業に注目が集まっているのです。

影の英雄、スバス・チャンドラ・ボース

インドは長い間イギリスから植民地支配されていました。ボースはその植民地時代のインドで生まれます。父親は弁護士で、経済的にも恵まれた環境で育ちました。

その後、インド最古の大学の1つであるカルカッタ大学を2番で卒業。そしてイギリスのケンブリッジ大学の大学院に留学するのです。

ここで国際政治における軍事力の役割を専門的に学ぶことになります。これは彼の一生に大きな影響を与えるのです。

帰国したボースはスーパーエリートであるインド高等文官試験に合格しますが、植民地支配側の官僚にならない決心をします。

そしてガンジーの下でインドの独立運動に参加していくのです。やがて、穏健派のガンジーと急進派のボースの間には溝が広がっていきます。

01

ガンジーとは別の道を…

その後、第二次大戦が始まるとドイツがイギリス勢力をヨーロッパから撃退します。これをインドのイギリスからの独立のチャンスと考えたボースは、ナチス・ドイツに接近します。しかしヒトラーからは協力を得られることができませんでした。

02
それから日本が東南アジアでイギリスを撃退したことを知ったボースは日本政府との共闘を考えます。彼はドイツ海軍と日本海軍の潜水艦、そして飛行機を使い、日本に渡り日本政府に協力を依頼します。

そしてアジアの開放を旗印にしていた日本の全面協力を得て、インド国民軍や自由インド仮政府の首班としてインドに侵攻します(インパール作戦)

03

04
このインド侵攻は大失敗に終わり、日本は連合国に無条件降伏しました。彼はソ連に亡命してインド独立運動を継続するつもりだったようですが、台湾の空港で事故死してしまいます。

そして彼は東京杉並区の蓮光寺で永眠しています。インドからはネルー首相ら要人もお参りに来てるんですよ。

彼の生き方については世界中の人々から多くのコメントが寄せられています。いくつか紹介していきましょう。

私はガンジーよりもボースが好きだな。
ボースは真の建国の父だ。
ナチスと日本帝国の協力者さ。
ボースは私にとっての誇りです。
彼の活躍があったからこそ、イギリス帝国から早く開放されたのよ。
違うと思う。彼は日本軍を利用しようとして、利用されたんだ。
彼の最大の功労は植民地支配を終わらせたこと。イギリスの視点で歴史を語るべきではない。
彼は歴史から忘れられた英雄だね。
彼の業績は偉大ですが、日本軍と協力したせいでネルーやガンジーに嫌われたんです。
ボースの意思は我々が引き継いでいます。
彼が自由インド仮政府を率いて戦ったことをインド人は覚えていますよ。
ボースのお墓は日本にあるということだけど、彼の遺体はインドに戻して上げて下さい。
彼はインドのベンガル虎のような男だった。
母なるインドと偉大な指導者ボースを愛している。
ボースはインドの人々の心の中で生き続けている。
彼はヒトラーのような極端に偏狭な指導者ではなかったけど、枢軸国側に付くべきではなかったです。
もしボースが枢軸国側でイギリスと戦わなければ、インド人は今でもイギリス人の靴を磨いていたはず。
ボースはファシストではないよ。彼はイギリスをインドから追い出すための協力者が欲しかったのさ。イギリスと敵対していたドイツや日本に協力を依頼するって自然なことだと思う。彼のことをもっとよく知るべきね。彼の人徳が優れていたからこそ、多くの人が彼を支持しているのよ。
ネルー首相はボースの不審な死に関わりがあると思います。
ボースは事故死とも言われているけど、連合国側、正確にはイギリスのエージェントが抹殺したんだ。でも、ネルーやガンジーがボースを守ろうとしなかったのさ。インド政府は未だにこの事実を隠しているけどね。
ボースはインドの独立のためなら武力闘争や悪魔と手を結ぶことも厭わない人だったからね。彼はその信念に基づいて行動したんだろうね。
ボースは飛行機で死なずに、インド独立後20年間は僧侶として生きたとも言われている。インドが独立できたのはボースが指揮した自由インド軍のおかげだという歴史家もいます。
もっとボースの思想や偉業に注目すべきですね。
彼が生きていたら、今のインドをどのように変革させるだろうか。
彼の残した足跡は偉大です。
私は彼の悲劇を思うといつも泣いてしまいます。彼は亡くなったけど、彼の意思はインド人の中に生きています。
ボースなくしてインドの独立はなかった。
彼は自分の身を犠牲にしてインドに尽くしてくれた。インドの英雄さ。
彼が初代インド首相になってくれていれば、インドの分裂はなかっただろうね。
彼のことは心底優れたリーダーだったと思っている。
私は彼と同じベンガル人であることに誇りをもっています。

ボースは数多くの困難を、人並み外れたバイタリティで乗り越えました。彼は頭脳明晰で信念と行動力に溢れたスーパーマンのような人物だったのでしょう。

けれど第二次大戦の敗戦国側で戦ったため、イギリス政府や独立当初のインド政府はボースを歴史上から抹消しようとしたのです。

それでも多くのインド人はボースの偉業を忘れておらず、名誉回復を果たしています。今ではネルー、ガンジーと共に、建国の3大英雄の1人とされています。

ボースがインドでイギリスから軟禁されていた邸宅はボース博物館となっており、2007年には安倍晋三首相がここを訪問しています。

また、多くのインド人はボースの事故死には疑問を持っており、インド政府は過去3回も公式調査を行っています。インドにおけるボースの人気ぶりが伺えるエピソードですね。

(参考)https://en.wikipedia.org/wiki/Subhas_Chandra_Bose
http://timesofindia.indiatimes.com/india/Netaji-Subhas-Chandra-Bose-
wanted-ruthless-dictatorship-in-India-for-20-years/articleshow/46980513.cms

ガンジーが有名すぎるせいで影に隠れた感じになってしまったボースだが、海外コメントを見るとボースのほうが好きなんて意見もあって、人気も結構あるんだなぁと思った。日本で永眠しているなんて何か不思議な繋がりを感じる。

今日の人気記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント一覧
  1. 日本の名無しさん
    2016年1月1日 11:20 PM

    ボース氏の愛国心があって共に命をかけた日本軍がいたからこそ、パール判事のような発言があったかとおもう。日本軍の目的云々は別の話として、祖国のために命をはってきた愛国者であったのは否定できない話である。

  2. 日本の名無しさん
    2016年1月2日 8:42 AM

    インド綿を安値が買い叩いていったしね。
    インドの気候ではイギリスのウールなんて必要ないのに売り付けたよね。買わせるためにインド人の腕を切り落としたり、砲台に括り付けてドカン!させたりしたし。
    インドに入るためにカーストも歪ませたよねぇ。
    うん。ブリカス怖いわぁ~。

  3. 日本の名無しさん
    2016年1月4日 12:09 AM

    ボース•アインシュタイン凝縮のあのボースかと思ったら違うのか

  4. 日本の名無しさん
    2016年1月4日 11:31 PM

    日印友好、とこしえに!ボース氏のお墓は日本にある。日本のサヨクは時々思い出したようにガンジーを引用して無抵抗平和主義を都合よく引用する。しかし、ガンジーの徹底した平和主義は日本のサヨクがいう「自分自身に都合のいいエゴイスティックなその場都合」のものではないし、サヨクが毛嫌いする戦前戦中は、彼らがいうような暗黒時代などではなかった。実は世界で最も人種主義撤廃と欧米列強の植民地帝国らに搾取され続けるアジアに独立を手助けする手伝いもしていた側面ももつ時代だったんだ。日本のサヨクがいかに日本を敗北させた欧米とイデオロギーとしての共産主義や全体主義に従順なのか、その意味ももう一度考える必要がある。

コメントをする



Copyright © 2014 黄金の国ジパング All Rights Reserved.