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インドの独立運動には「非暴力・非服従」をスローガンとしたマハトマ・ガンジーやインドの初代首相のジャワハルラール・ネルーが有名です。しかし、歴史の影に隠れた英雄として近年スバス・チャンドラ・ボースの偉業に注目が集まっているのです。
インドは長い間イギリスから植民地支配されていました。ボースはその植民地時代のインドで生まれます。父親は弁護士で、経済的にも恵まれた環境で育ちました。
その後、インド最古の大学の1つであるカルカッタ大学を2番で卒業。そしてイギリスのケンブリッジ大学の大学院に留学するのです。
ここで国際政治における軍事力の役割を専門的に学ぶことになります。これは彼の一生に大きな影響を与えるのです。
帰国したボースはスーパーエリートであるインド高等文官試験に合格しますが、植民地支配側の官僚にならない決心をします。
そしてガンジーの下でインドの独立運動に参加していくのです。やがて、穏健派のガンジーと急進派のボースの間には溝が広がっていきます。
その後、第二次大戦が始まるとドイツがイギリス勢力をヨーロッパから撃退します。これをインドのイギリスからの独立のチャンスと考えたボースは、ナチス・ドイツに接近します。しかしヒトラーからは協力を得られることができませんでした。
それから日本が東南アジアでイギリスを撃退したことを知ったボースは日本政府との共闘を考えます。彼はドイツ海軍と日本海軍の潜水艦、そして飛行機を使い、日本に渡り日本政府に協力を依頼します。
そしてアジアの開放を旗印にしていた日本の全面協力を得て、インド国民軍や自由インド仮政府の首班としてインドに侵攻します(インパール作戦)
このインド侵攻は大失敗に終わり、日本は連合国に無条件降伏しました。彼はソ連に亡命してインド独立運動を継続するつもりだったようですが、台湾の空港で事故死してしまいます。
そして彼は東京杉並区の蓮光寺で永眠しています。インドからはネルー首相ら要人もお参りに来てるんですよ。
彼の生き方については世界中の人々から多くのコメントが寄せられています。いくつか紹介していきましょう。
ボースは数多くの困難を、人並み外れたバイタリティで乗り越えました。彼は頭脳明晰で信念と行動力に溢れたスーパーマンのような人物だったのでしょう。
けれど第二次大戦の敗戦国側で戦ったため、イギリス政府や独立当初のインド政府はボースを歴史上から抹消しようとしたのです。
それでも多くのインド人はボースの偉業を忘れておらず、名誉回復を果たしています。今ではネルー、ガンジーと共に、建国の3大英雄の1人とされています。
ボースがインドでイギリスから軟禁されていた邸宅はボース博物館となっており、2007年には安倍晋三首相がここを訪問しています。
また、多くのインド人はボースの事故死には疑問を持っており、インド政府は過去3回も公式調査を行っています。インドにおけるボースの人気ぶりが伺えるエピソードですね。
(参考)https://en.wikipedia.org/wiki/Subhas_Chandra_Bose
http://timesofindia.indiatimes.com/india/Netaji-Subhas-Chandra-Bose-
wanted-ruthless-dictatorship-in-India-for-20-years/articleshow/46980513.cms
ガンジーが有名すぎるせいで影に隠れた感じになってしまったボースだが、海外コメントを見るとボースのほうが好きなんて意見もあって、人気も結構あるんだなぁと思った。日本で永眠しているなんて何か不思議な繋がりを感じる。
ボース氏の愛国心があって共に命をかけた日本軍がいたからこそ、パール判事のような発言があったかとおもう。日本軍の目的云々は別の話として、祖国のために命をはってきた愛国者であったのは否定できない話である。
インド綿を安値が買い叩いていったしね。
インドの気候ではイギリスのウールなんて必要ないのに売り付けたよね。買わせるためにインド人の腕を切り落としたり、砲台に括り付けてドカン!させたりしたし。
インドに入るためにカーストも歪ませたよねぇ。
うん。ブリカス怖いわぁ~。
ボース•アインシュタイン凝縮のあのボースかと思ったら違うのか
日印友好、とこしえに!ボース氏のお墓は日本にある。日本のサヨクは時々思い出したようにガンジーを引用して無抵抗平和主義を都合よく引用する。しかし、ガンジーの徹底した平和主義は日本のサヨクがいう「自分自身に都合のいいエゴイスティックなその場都合」のものではないし、サヨクが毛嫌いする戦前戦中は、彼らがいうような暗黒時代などではなかった。実は世界で最も人種主義撤廃と欧米列強の植民地帝国らに搾取され続けるアジアに独立を手助けする手伝いもしていた側面ももつ時代だったんだ。日本のサヨクがいかに日本を敗北させた欧米とイデオロギーとしての共産主義や全体主義に従順なのか、その意味ももう一度考える必要がある。